施設名 | 緑風橋 地図 |
所在地 | 東淀川区下新庄4丁目〜吹田市川岸町 |
詳細情報 | 東淀川区下新庄地区は、木造住宅の密集地であり、広域避難場所に指定された淀川右岸河川敷まで2km以上離れている、いわゆる避難困難地区になっていた。しかし、神崎川を挟んだ対岸には吹田市の広域避難場所である中の島公園があり、両地区を連絡する橋があれば、下新庄地区・ |
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施設名 | 上新庄の古い趣のある家並み 地図 |
所在地 | 東淀川区上新庄2丁目13番15号、20番15号、11番24号、13番25号 |
詳細情報 | 上新庄2丁目の阪急上新庄駅に隣接する一帯には、信覚寺や春日神社の社寺とともに、蔵などの木造建造物が点在しており、古い趣のある家並みが見られる。信覚寺は文禄年間(1592〜95)創建と考えられる。春日神社はかつて榊神社と尊称し、天正6年(1578)奈良春日神社の御分霊 |
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施設名 | せせらぎの遊歩道 地図 |
所在地 | 東淀川区大桐3丁目〜5丁目 |
詳細情報 | 大桐3〜5丁目にかけて、延長610mのせせらぎの遊歩道がある。木々が生い茂り、小川が流れている。この小川は、昔、農業用水路として使っていた。子どもたちの水遊びや虫取りをする楽しそうな声、お父さんと楽しそうに散歩する姿、買い物の途中にベンチで一休みをしている方・ |
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施設名 | 行友家と楠 地図 |
所在地 | 東淀川区菅原1丁目12番18号 |
詳細情報 | 菅原1丁目にある行友家は、弘化元年(1844年)に建築された古民家で、北側道路に面したところに、門、塀、石垣が配置されており、門の両脇にある2本の大きな楠と一体となって、歴史を感じさせる一角となっている。楠は遠くからでもよく見え、直近ではその大きさに圧倒される |
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施設名 | 須賀森公園とくす 地図 |
所在地 | 東淀川区西淡路4丁目17番 |
詳細情報 | 須賀森公園は須賀神社の跡地につくられた公園である。その由緒ある跡地を永久に保存するため、地元民の熱意で公園に姿をかえ、憩いの場となっている。ここには樹齢約600年の大楠があり、大阪府天然記念物に指定(昭和56年(1981年)6月1日)されている(樹高30m、直径1.6m) |
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施設名 | 長柄橋 地図 |
所在地 | 東淀川区柴島1丁目〜北区天神橋8丁目 |
詳細情報 | 古くから広くその名が知られる長柄橋ではあるが、橋の所在地については定かでない。長柄橋の名が復活するのは、明治42年(1909年)、新淀川の開削にともなって架けられた鉄製のポニートラス橋である。この橋は明治7年(1874年)に開通した東海道本線のトラスが転用されたも・ |
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施設名 | 逆巻の地蔵尊 地図 |
所在地 | 東淀川区大桐5丁目4番 |
詳細情報 | 「逆巻の地蔵尊」は、弘化3年(1846年)、豊里大橋付近の阪巻村(現在は淀川の川底になった場所)に建立された。この場所は水流が激しく、帆を逆に巻かなければ転覆することから「逆巻の難所」と名付け、恐れられていた。幾度も船が難破し、数多くの犠牲者が出たため、慰霊・ |
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施設名 | 豊里大橋 地図 |
所在地 | 東淀川区豊里3丁目〜旭区太子橋2丁目 |
詳細情報 | 本橋は、万国博覧会の関連事業として昭和45年(1970年)に完成した。橋長561mのうち、河川中央の低水敷部分に377mの斜張橋形式が採用された。水面から45mのA字形の塔と、そこから斜めに張って主桁を吊っているケーブルが外観上のシンボルにもなっている。本橋の完成に伴い、 |
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施設名 | 菅原天満宮 地図 |
所在地 | 東淀川区菅原2丁目3番27号 |
詳細情報 | 菅原道真公を祭神とし、寛永年間(1624〜44年)、この地が開発されたときに勧請(かんじょう)された。代々の言い伝えでは延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府へ左遷され淀川を船で下る途中、当地摂津の国、二重新家村(ふたえしんけむら)住民の出迎えを受けて上陸され住・ |
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施設名 | 神崎川(東淀川区) 地図 |
所在地 | 東淀川区西淡路6丁目〜下新庄4丁目、上新庄3丁目〜南江口3丁目、相川1丁目〜北江口4丁目 |
詳細情報 | 東淀川区内の神崎川では、「水とみどりのふれあい広場」や「なにわ自転車道」、「神崎川と新幹線」の交差、わが国で初めて採用された2主桁橋の江口橋など、特徴のある水辺が楽しめる。「水とみどりのふれあい広場」は、河川に親しむ空間として平成18年(2006年)に整備され・ |
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施設名 | 環境局東淀工場 地図 |
所在地 | 東淀川区南江口3丁目16番6号 |
詳細情報 | 本施設は、老朽化のため平成13年(2001年)より稼動を停止していた旧東淀工場の建替えを行ったもので、平成22年(2010年)に完成した。施設の計画にあたっては、できるかぎり建物のコンパクト化を図り、壁面を分節化することにより威圧感を軽減するとともに、落ち着いたシン |
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施設名 | 瑞光寺と雪鯨橋 地図 |
所在地 | 東淀川区瑞光2丁目2番2号 |
詳細情報 | 瑞光寺は、聖徳太子の創建と伝えられ、現在の大阪経済大学敷地にあった。三寶寺の全盛時代に堂宇のひとつに属した臨済宗の禅寺であったが、建武年間(1334〜1336年)の頃、火災に遭い建物が焼失した。その後、寛永20年(1643年)に伊予の国の天然という臨済宗の僧がこの地に |
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施設名 | 淀川城北ワンド 地図 |
所在地 | 旭区赤川4丁目、生江3丁目、中宮5丁目、大宮5丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:城北公園付近の堤防に位置し、天然記念物・イタセンパラの生息場所となるなど、多様な生態系を形成している。現地ではワンドの環境を守るためのクリーンキャンペーンが行われている。 |
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施設名 | 淀川河川敷(東淀川区) 地図 |
所在地 | 東淀川区柴島1丁目〜南江口3丁目 |
詳細情報 | 淀川は、ワンドや川べりに群生するヨシ原など変化のある自然環境に恵まれ、すばらしい景観をつくっている。河川敷には、自然とふれあいながら、スポーツや遊びが楽しめる場所として、芝生広場やテニスコート、野球場など、河川公園が整備され、多くの人たちに親しまれている |
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施設名 | 江口の君堂(寂光寺) 地図 |
所在地 | 東淀川区南江口3丁目13番23号 |
詳細情報 | 仁安2年(1167年)の秋、歌人西行法師が天王寺へ参詣する途中、江口の里であいにくの時雨にあい、一軒の粗末な里家で雨宿りを乞う。しかし、女家主の遊女妙(たえ)はその申し出を拒んだ。そこで、西行が「世の中をいとふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむきみかな」と・ |
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施設名 | 柴島浄水場 地図 |
所在地 | 東淀川区柴島1丁目3番、8番、東淡路2丁目1番 |
詳細情報 | 通水開始が大正3年(1914年)2月で、1日の標準給水能力は、1,180,000m3で、市内中部、北部、西北部に給水している。敷地面積約462,000m2のなかには、配水地やポンプ場、高度浄水処理棟などの設備が配置されている。阪急京都線の崇禅寺駅から淡路駅間東側線路沿いの460mには・ |
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施設名 | 松山神社 地図 |
所在地 | 東淀川区小松4丁目15番38号 |
詳細情報 | 延喜元年(901年)、菅原道真が太宰府に流罪になる途中この地に立ち寄り、数千株の小松の茂る景観に感動し、小松の詩を吟じ直筆の御真像を与えた。道真亡き後、村民たちが社祠を構えてお祀りしたのが松山神社の起こりだといわれている。明治42年(1909年)に大隅神社に合祀・ |
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施設名 | 延原倉庫(株)淡路物流センター 地図 |
所在地 | 東淀川区西淡路6丁目4番111号 |
詳細情報 | 延原倉庫は、現在、貸倉庫業として西淡路6丁目に多くの倉庫を所有している。その中で、南東の門から見える5号倉庫は、第2次世界大戦の開戦の翌年(昭和17年(1942年)に完成した建物で、延原倉庫の前身の延原製作所が軍需工場の指定を受けていたころの建物である。鉄筋コン・ |
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施設名 | 安威川と番田水路に挟まれた散歩道 地図 |
所在地 | 東淀川区井高野1丁目、3丁目、4丁目 |
詳細情報 | 安威川河川敷は、「安威川水と緑の回廊計画」の一環として、公園や遊歩道などが連続的に整備されており、潤いのある水辺空間として散策を楽しんだり環境美化活動に参加するなど地域の方々に親しまれている。 |
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施設名 | 大隅神社 地図 |
所在地 | 東淀川区大桐5丁目14番81号 |
詳細情報 | 1700年ほど前、この大隅島に離宮を営んでおられた応神天皇(大隅宮:おおすみのみや)が崩御の後、里人が帝の御徳を慕い宮址に神祠を建立したのが起源とされている。ある年に淀川が氾濫し賀茂(かもの)明神の御神体が漂着して霊光を放ち、里人はこれを迎えて産土神(うぶす |
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施設名 | 大宮 地図 |
所在地 | 東淀川区大道南3丁目2番2号 |
詳細情報 | 大宮は第27代安閑天皇を主祭神として祀られた神社である。安閑天皇はしばしばこの地を訪れ、放牧の適地として奨励されたので、牛を飼い牛乳を固めた酥(そ)というもの(チーズのようなもの)を献上するなど、この土地の発展に尽くされた徳を慕って祭祀された。そのことにちなん |
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施設名 | 中島惣社 地図 |
所在地 | 東淀川区東中島4丁目9番41号 |
詳細情報 | 中島惣社は、孝徳天皇の白雉(はくち)2年(651年)難波長柄豊碕に遷都されたころ、五穀豊饒を祈るために多くの神領を得て創建されたといわれている。慶長の末年(1615年)、大坂の役において兵火にあい、古文書などは焼失し本社古代の絵図面一葉と建武2年(1335年)中島總・ |
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施設名 | 中島大水道跡 地図 |
所在地 | 東淀川区西淡路5丁目1番 |
詳細情報 | 江戸時代、北中島一帯は一万数千石の米を生産する農村だったが、低湿地で土砂堆積による洪水がひどく、一柳太郎兵衛、西尾六右衛門、沢田久左衛門の三庄屋が先頭に立って、幕府に排水路の設置を強く訴えた。幕府は「工事の費用は、すべて百姓が負担する」という条件をつけて |
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施設名 | 三光神社 地図 |
所在地 | 天王寺区玉造本町14−90 |
詳細情報 | 明治41年(1908年)境内の全国唯一の中風除けの神、三光宮を合祀してより三光神社と呼ばれるようになった。毎年6月1日から7日まで中風祈願大祭が行われ、全国各地から多くの参拝者が訪れる。古くから三光神社の地に真田の抜け穴の話が伝えられている。慶長19年(1614年)の大・ |
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施設名 | 一柳家の門・塀 地図 |
所在地 | 東淀川区菅原1丁目16番3号 |
詳細情報 | 一柳家の先祖は、中島大水道の開削にあたり、その実現に苦労を重ねた責任者の一人の一柳太郎兵衛であった。一柳家の亀岡街道沿いには、歴史を感じる板塀・門・土塀が連なってあり、その中でも、現在残る土塀には当時の瓦がぬりこめられており、続く四脚門は民家には珍しく共 |
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施設名 | 天王寺七坂(源聖寺坂) 地図 |
所在地 | 天王寺区下寺町1丁目付近 |
詳細情報 | 谷町九丁目から四天王寺西門の南北と谷町筋から松屋町筋までの東西の地域には寺や神社が多く、その名を付けた坂や坂の形から呼ばれるようになった坂などがあり、その七つの坂は天王寺七坂と言われている。口縄坂を上りきったところには織田作之助文学碑があり、松屋町筋と逢 |
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施設名 | 天王寺七坂(愛染坂) 地図 |
所在地 | 天王寺区伶人町付近 |
詳細情報 | 谷町九丁目から四天王寺西門の南北と谷町筋から松屋町筋までの東西の地域には寺や神社が多く、その名を付けた坂や坂の形から呼ばれるようになった坂などがあり、その七つの坂は天王寺七坂と言われている。口縄坂を上りきったところには織田作之助文学碑があり、松屋町筋と逢 |
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施設名 | 天王寺七坂(天神坂) 地図 |
所在地 | 天王寺区逢阪1丁目、伶人町 |
詳細情報 | 谷町九丁目から四天王寺西門の南北と谷町筋から松屋町筋までの東西の地域には寺や神社が多く、その名を付けた坂や坂の形から呼ばれるようになった坂などがあり、その七つの坂は天王寺七坂と言われている。口縄坂を上りきったところには織田作之助文学碑があり、松屋町筋と逢 |
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施設名 | 天王寺七坂(清水坂) 地図 |
所在地 | 天王寺区伶人町 |
詳細情報 | 谷町九丁目から四天王寺西門の南北と谷町筋から松屋町筋までの東西の地域には寺や神社が多く、その名を付けた坂や坂の形から呼ばれるようになった坂などがあり、その七つの坂は天王寺七坂と言われている。口縄坂を上りきったところには織田作之助文学碑があり、松屋町筋と逢 |
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施設名 | 天王寺七坂(真言坂) 地図 |
所在地 | 天王寺区生玉町 |
詳細情報 | 谷町九丁目から四天王寺西門の南北と谷町筋から松屋町筋までの東西の地域には寺や神社が多く、その名を付けた坂や坂の形から呼ばれるようになった坂などがあり、その七つの坂は天王寺七坂と言われている。口縄坂を上りきったところには織田作之助文学碑があり、松屋町筋と逢 |
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施設名 | 天王寺七坂(逢坂) 地図 |
所在地 | 天王寺区逢阪1丁目 |
詳細情報 | 谷町九丁目から四天王寺西門の南北と谷町筋から松屋町筋までの東西の地域には寺や神社が多く、その名を付けた坂や坂の形から呼ばれるようになった坂などがあり、その七つの坂は天王寺七坂と言われている。口縄坂を上りきったところには織田作之助文学碑があり、松屋町筋と逢 |
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施設名 | 天王寺七坂(口縄坂) 地図 |
所在地 | 天王寺区下寺町2丁目付近 |
詳細情報 | 谷町九丁目から四天王寺西門の南北と谷町筋から松屋町筋までの東西の地域には寺や神社が多く、その名を付けた坂や坂の形から呼ばれるようになった坂などがあり、その七つの坂は天王寺七坂と言われている。口縄坂を上りきったところには織田作之助文学碑があり、松屋町筋と逢 |
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施設名 | 齢延寺 地図 |
所在地 | 天王寺区生玉町13−31 |
詳細情報 | 元和6年(1620年)僧義春によって曹洞宗の寺として真田山に開創され、元和9年(1623年)に現在の場所へ移転しており、志摩国領主稲葉家の菩提寺でもあった。江戸時代は「齢延寺の彼岸桜」と呼ばれた桜の名所で、今も大樹古墓の多い風格のある寺として知られる。境内には、幕 |
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施設名 | 鶴橋駅周辺の焼肉店の多い街並み 地図 |
所在地 | 天王寺区下味原町1〜5 |
詳細情報 | 天王寺区には鶴橋西商店街があり、ここ数年で焼き肉店が増えたことから“焼肉スクウェア”と呼ばれている。この商店街の風景は、焼肉店やキムチなどの食材を扱う店などが建ち並び、焼き肉の香ばしいかおりやキムチなどの独特なかおりが広範囲にわたって漂っていることから、 |
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施設名 | 銀山寺 地図 |
所在地 | 天王寺区生玉寺町6−26 |
詳細情報 | 天正19年(1591年)に豊臣秀吉の城下町建設の一環である寺町建設の中で現在地に創建され、当時の寺号は大福寺といったが、後に太閤秀吉の命により寶樹山銀山寺と改称された。その後寛永8年(1631年)に本堂・大方丈・庫裡・表門・裏門が中興され、元禄14年(1 |
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施設名 | 超願寺(竹本義太夫の墓) 地図 |
所在地 | 天王寺区大道1丁目14−1 |
詳細情報 | 義太夫節浄瑠璃の元祖といわれ、慶安(けいあん)4年(1651年)この付近(堀越(ほりこし)神社南約100mの路上に、生誕地碑)に生まれた。若いころから研究熱心で小唄・俗謡から物売りの呼声まで身につけ、将来に備えた。その後京・大坂で修業を積み、延宝(えんぽう)5年( |
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施設名 | 天王寺公園・天王寺動物園 地図 |
所在地 | 天王寺区茶臼山町 |
詳細情報 | 明治36年(1903年)の第5回内国勧業博覧会の跡地利用として東半分を公園にしたもので、明治42年(1909年)に開設された長い歴史をもつ。昭和62年(1987年)に、開催された天王寺博覧会を契機に水と緑をふんだんに取り入れた公園へと一新され、沈床花壇や小川の小径、バラの・ |
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施設名 | 茶臼山・河底池・和気橋 地図 |
所在地 | 天王寺区茶臼山町 |
詳細情報 | 大坂冬の陣で家康の本陣となり、夏の陣では幸村が布陣し激戦地となった茶臼山は、奈良時代に和気清麻呂(わけのきよまろ)が河内川の流水を南に引こうとした河底池とともに、天王寺公園の風景に取り入れられている。和気橋は、延暦7年(788年)和気清麻呂が旧大和川の流れ・ |
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施設名 | 總本家釣鐘屋 地図 |
所在地 | 天王寺区大道1丁目5−2 |
詳細情報 | 明治33年(1900年)、地元の有志から四天王寺に大梵鐘が奉納され、大阪商人の心意気を示す快挙として評判になった。その奉納記念として、釣鐘のかたちを模した饅頭を、四天王寺の門前で売り出したのが「釣鐘まんじゅう」のはじまりである。店舗の屋根につけられた鐘などレト |
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施設名 | 真田山公園前の道 地図 |
所在地 | 天王寺区真田山町、玉造本町付近 |
詳細情報 | 真田山公園の北側の坂道は、真田山町と玉造本町との間の道を西へ入り、餌差町(えさしまち)の伝長寺前まで約330mつづいている。真田山公園の地には、もと騎兵第四連隊があり、昭和7年(1932年)に移転した跡地が公園となった。公園北の坂道も騎兵隊移転後に整備されたもの |
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施設名 | 真田山公園 地図 |
所在地 | 天王寺区真田山町5 |
詳細情報 | 騎兵第四連隊の跡地に、昭和14年(1939年)8月に開設した。戦後、占領軍に一時期接収されたが、昭和23年(1948年)に運動公園として再開園し、現在は、天王寺スポーツセンターや真田山プール(屋外50m、冬季はアイススケートリンク)、野球場、テニスコートなどの施設を備え |
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施設名 | 生國魂神社 地図 |
所在地 | 天王寺区生玉町13−9 |
詳細情報 | 皇紀元年より3年前(約2700年前)、神武天皇が九州から難波津に到着の折、大阪湾に浮かぶ石山碕(現大阪城を含む一帯)に生島神、足島神を祀られたのがはじまりとされる。中世、神域内に石山本願寺が建立されたが、これは信長との石山合戦の後、寺内から出火し焼失してしま |
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施設名 | 清水寺 地図 |
所在地 | 天王寺区伶人町5−8 |
詳細情報 | かつては有栖寺(ありすでら)といってかなり古くからあったといわれる。寛永17年(1640年)に延海大阿闍梨(えんかいだいあじゃり)が観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)のお告げをうけ、京都の清水寺から聖徳太子の作といわれる十一面千手観世音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ) |
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施設名 | 清寿院(関帝廟) 地図 |
所在地 | 天王寺区勝山2丁目6−15 |
詳細情報 | 「三国志」の英雄関羽を祀り、正式には黄檗(おうばく)宗白駒山清寿院と言われる。中国との縁が深いため南京寺と通称されている。明和元年(1764年)12月、浄土宗住職宗円より黄檗僧大肩和尚が譲り受け、中国僧大成和尚を中興開山となし、本堂を再建して黄檗宗の末寺となっ |
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施設名 | 大正湯の煙突 地図 |
所在地 | 天王寺区松ケ鼻町3−16 |
詳細情報 | 夕陽丘高校の東側の道を北へ入った閑静な住宅街の中にある。狭い空間をうまく開放感と質感をもつ雰囲気に仕立てた設計(昭和56年(1981年))となっている。 |
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施設名 | 楞嚴寺 地図 |
所在地 | 天王寺区城南寺町1−26 |
詳細情報 | 慶長2年(1597年)僧禅牛の開創である。楞嚴寺には織田作の名で親まれ、『夫婦善哉』のように大阪を舞台として、市井に生きる人びとをいきいきと描いた作品を数多く残した「織田作之助」の墓所がある。 |
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施設名 | 慶沢園 地図 |
所在地 | 天王寺区茶臼山町 |
詳細情報 | もと住友本邸の庭で、美術館の敷地とともに大阪市へ寄贈されたものであり、10年余りの歳月を要して完成した純日本風の回遊式庭園である。明治41年(1908年)、庭師小川治兵衛が作り、伏見宮貞愛親王が慶沢園と命名した。 |
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施設名 | 愛染堂(愛染さん) 地図 |
所在地 | 天王寺区夕陽丘町5−36 |
詳細情報 | 推古天皇元年(593)、四天王寺の施薬院(せやくいん)として聖徳太子が建立し、その後、縁結びの神様として有名な愛染明王が本尊として祀られるようになったことから「愛染堂」と呼ばれるようになった。「愛染めの霊水」は飲むと愛が叶うと言われ、映画「愛染かつら」のモ・ |
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施設名 | 安居神社 地図 |
所在地 | 天王寺区逢阪1丁目3−24 |
詳細情報 | 少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社。昌泰4年(901年)菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母覚寿尼(かくじゅに)を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)した。当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家 |
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施設名 | 学園坂 地図 |
所在地 | 天王寺区下寺町1丁目・2丁目付近 |
詳細情報 | 天王寺区下寺町・松屋町筋から谷町筋六万体へ通ずる坂は、上町台の中央を南北に分断するような大きな坂である。かつて小さな道を切り開いて自動車道路として造られたものである。その後、道沿いに大阪女子学園(現在大阪夕陽丘学園)ができて学園坂とよばれるようになった。 |
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施設名 | 大阪市立美術館 地図 |
所在地 | 天王寺区茶臼山町1−82 |
詳細情報 | 昭和11年(1936年)5月開館。美術館は天王寺公園の中に位置しているが、その敷地は住友家の本邸であったところで、美術館の建設を目的に庭園(慶沢園)とともに、大阪市に寄贈されたものである。美術館は設立当初の本館と、平成4年(1992年)に美術館正面地下に新設した地下 |
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施設名 | 大阪市立大江幼稚園 地図 |
所在地 | 天王寺区四天王寺1丁目11−108 |
詳細情報 | 昭和5年(1930年)7月17日開設。平成22年(2010年)に、80周年を迎え、園舎は、戦災や災害に耐え、木造平屋建て瓦ぶき屋根の、歴史と伝統の重みと懐かしさを残している。園庭には、桜や藤などの樹木やブドウやミカン、モモ等の実のなる木があり、花壇には四季折々の花が咲く |
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施設名 | 大阪ガス 実験集合住宅 NEXT21 地図 |
所在地 | 天王寺区清水谷町6−16 |
詳細情報 | 「ゆとりある生活と省エネルギー・環境保全の両立」をテーマに、近未来の都市型集合住宅のあり方を提案することを目的として、大阪ガス(株)が平成5年(1993年)10月に建設した実験集合住宅である。竣工以来、平成6年(1994年)4月、平成12年(2000年)4月、平成19年(2007年 |
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施設名 | 大江神社 地図 |
所在地 | 天王寺区夕陽丘町5−40 |
詳細情報 | 天王寺七宮の1つで、聖徳太子自らまつりごとを行ったこともあり四天王寺の鎮守といわれている。四天王寺の乾(いぬい 西北)に位置しているところから、江戸時代には「乾社」と呼ばれていた。当時は毘沙門天(びしゃもんてん)を祀っていたので、「毘沙門堂」とも呼ばれて・ |
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施設名 | 堀越神社 地図 |
所在地 | 天王寺区茶臼山町1−8 |
詳細情報 | 聖徳太子が、叔父に当たる第32代崇峻天皇の徳を偲んで、四天王寺建立と同時に当社を創建したものである。古くより明治の中期まで、境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので、堀越という名が付けられたといわれている。境内にかえる石が蹲(つくばい)の |
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施設名 | 四天王寺西門前の参道 地図 |
所在地 | 天王寺区四天王寺1丁目11 |
詳細情報 | 四天王寺西門前の石畳の道であり、参道上に立つ西門前の石鳥居は国の重要文化財に指定されている。石鳥居から西門までの沿道には店舗や露店等が並んでいる。四天王寺西門は、浄土信仰のうえで日想観の聖地として位置付けられる特別な土地であり、平安時代以降、様々な階層の |
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施設名 | 四天王寺庚申堂 地図 |
所在地 | 天王寺区堀越町2−15 |
詳細情報 | 四天王寺の数百メートル南にある庚申堂の縁起は、今から1300余年前(飛鳥時代)、我が国に色々の疫病がはやり、四天王寺の民部(みんぶ)の郷僧都毫範(そうずごうはん)が、霊験を得て祈願をしたとき、庚申堂の本尊である青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)が、16歳 |
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施設名 | 吉祥寺(赤穂義士の寺) 地図 |
所在地 | 天王寺区六万体町1−20 |
詳細情報 | 寛永7年(1630年)創建の曹洞宗の寺院であり、創建当時の住職縦鎌師が赤穂藩主浅野主匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)と親しい間柄で、この寺は大坂における浅野家の菩提寺であった。義士討ち入りの翌年2月、大石内蔵助をはじめとする46士は切腹したが、足軽の寺坂 |
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施設名 | お寺のまち・下寺町と斜面緑地 地図 |
所在地 | 天王寺区下寺町1丁目・2丁目付近 |
詳細情報 | 坂道や眺望点など、上町台地は大阪市内では珍しく地形変化を楽しめる場所であるが、なかでも延長2キロ近くの樹林帯が南北方向に連なっている「夕陽丘」は貴重である。下寺町には、昭和4年(1929年)に建設され、国の登録有形文化財に指定されている心光寺の本堂や、天正19年 |
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施設名 | 伝藤原家隆墓 地図 |
所在地 | 天王寺区夕陽丘町5 |
詳細情報 | 藤原家隆(1158年〜1237年)は、藤原時代末期の五代の天皇に仕えた有名な歌人で、79歳の時に官を辞して浄春寺の地に隠棲(いんせい)した。その翌年の春の彼岸に高台から西の海に落ちる夕日を見て、その荘厳さに心を打たれ直ぐに落髪して仏性と号し、その4月9日に消えるよう |
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施設名 | 上本町YUFURA(上本町新歌舞伎座ビル) 地図 |
所在地 | 天王寺区上本町6丁目5−13 |
詳細情報 | 平成22年(2010年)8月、大阪上本町駅南の近鉄劇場跡地に、近鉄創業百周年記念事業として建築されたショッピング・ゾーン。同年9月には、この6階に、大阪新歌舞伎座が半世紀ぶりに新開場した。広場に面した西面ファサードのアルミキャストルーバーは旧大阪新歌舞伎座の連続唐 |
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施設名 | 一心寺三千佛堂 地図 |
所在地 | 天王寺区逢阪2丁目6−13 |
詳細情報 | 一心寺に参詣される善男善女のために開かれた講堂として、平成14年(2002年)5月に建立された。この内部、大回廊に、千躰の佛様―「千躰佛」を21世紀中かけて順次造立奉安されていく予定である。 |
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施設名 | うえほんまちハイハイタウン 地図 |
所在地 | 天王寺区上本町6丁目3−31 |
詳細情報 | 上本町駅前の商業施設は、第二次世界大戦で廃墟と化したが、商業閉鎖の危機を乗り切り、これを機に住民が「復興速進会」を発足し、昭和23年(1948年)「国際商店会」に発展していった。昭和52年(1977年)に再開発事業の認可を受け、昭和55年(1980年)に完成した。 |
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施設名 | U氏邸 地図 |
所在地 | 天王寺区清水谷町7−9 |
詳細情報 | 打ち放しの外観に、豊富な植栽が良く映える。昭和43年(1968年)に職住一体都市住宅のさきがけとして建築された。緑に被われたファサードは年月を重ねるごとに豊さを増している。日本の現代建築に大きな影響を与えた建築家・西澤文隆による設計。平成19年(2007年)には、NP |
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施設名 | 野鳥園南港緑地 地図 |
所在地 | 住之江区南港北3丁目5番30号 |
詳細情報 | 日本における渡り鳥の重要な生息地であった大阪湾岸一帯に生息する野鳥の保護を目的に設置された。総面積は19.3haで、園内には、海が展望できる丘や林、干潮時に人工干潟になる西池のほか、八角形の屋根を持つ展望塔が整備されている。 |
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施設名 | 大阪北港マリーナ 地図 |
所在地 | 此花区常吉2丁目13番 |
詳細情報 | ヨット・ボートを中心とするマリンスポーツやレクリエーション活動を通じて、海に親しめる施設である。テニスコートもあるほか、隣接する緑地では海を眺めながらスポーツやピクニックを楽しむことができる。 |
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施設名 | 咲くやこの花館 地図 |
所在地 | 鶴見区鶴見緑地内 |
詳細情報 | 地球上の様々な気候帯に生育する植物を栽培展示する総合植物館。平成2年(1990年)に開催されたEXPO'90「国際花と緑の博覧会」で大阪市のパビリオンとして建設された。水面に浮かぶスイレンの花をイメージし、約5000枚のガラスを使ってデザインされている。 |
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施設名 | 花博記念公園鶴見緑地 地図 |
所在地 | 鶴見区緑地公園他 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:戦前に過密都市対策の一環として計画された大阪を代表する四大緑地のひとつ。平成2年(1990年)に国際花と緑の博覧会の開催後、再整備された都市公園。面積約120haという広大な敷地は造成によって変化のある自然景観を形成。博覧会の開・ |
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施設名 | 大和橋 地図 |
所在地 | 住之江区安立4丁目〜堺市 |
詳細情報 | 大阪市と堺市を結ぶ大和橋は、大和川の開削と共に宝永元年(1704年)、紀州街道が川を渡るところに架けられた公儀橋であり、当時、大和川にはこの橋しかありませんでした。大和橋は洪水のたびに修復が繰り返され、明治18年の大洪水によって大きな被害を受けたため、大正5年・ |
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施設名 | 加賀屋新田会所跡 地図 |
所在地 | 住之江区南加賀屋4丁目8番 |
詳細情報 | 加賀屋甚兵衛が開発した加賀屋新田の管理のために、会所兼別邸として約250年前に建てた建物と庭園を修復・整備したもの。敷地内にある数寄屋風(すきやふう)茶室(鳳鳴亭(ほうめいてい))、書院、居宅は平成13年(2001年)に市の有形文化財・建造物に、会所跡は史跡に指・ |
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施設名 | 住之江公園 地図 |
所在地 | 住之江区南加賀屋1丁目1番 |
詳細情報 | 昭和5年(1930年)に開設された府営公園。花と緑に満ちた都会のなかのオアシスとして親しまれている。「花や緑とふれあう」「緑の中で憩う」「スポーツを楽しむ」をテーマに、自然と親しめる花と緑のスクエア、児童遊戯場、プールや球技広場が整備されている。 |
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施設名 | 大阪護國神社と杜 地図 |
所在地 | 住之江区南加賀屋1丁目1番77号 |
詳細情報 | 昭和5年(1930年)に開設された府営公園。花と緑に満ちた都会のなかのオアシスとして親しまれている。「花や緑とふれあう」「緑の中で憩う」「スポーツを楽しむ」をテーマに、自然と親しめる花と緑のスクエア、児童遊戯場、プールや球技広場が整備されている。 |
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施設名 | 住吉公園 地図 |
所在地 | 住之江区浜口東1丁目1番 |
詳細情報 | 明治6年(1873年)の太政官布告に基づき住吉大社境内の一部に開設された歴史を有する公園である。遊戯広場や池を巡る遊歩道の周囲には運動場や野球場、体育館などのスポーツ施設が整備されているほか、四季を彩る草花の多さが特徴となっている。 |
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施設名 | 南港オズ岸壁と大阪南港コスモフェリーターミナル 地図 |
所在地 | 住之江区南港北2丁目 |
詳細情報 | アジア太平洋トレードセンターの一部であるオズの岸壁は大阪市の帆船「あこがれ」の乗船場所となっている。その西北側の大阪南港フェリーターミナルは愛媛や北九州を結ぶ大型フェリーが就航しており、多くの船を眺めることができる。 |
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施設名 | 住吉高燈籠 地図 |
所在地 | 住之江区浜口西1丁目 |
詳細情報 | 住吉高燈籠は美しい景観を誇ったすみのえの浜を実証するもので、建設は江戸時代中頃と考えられる。付近の浜辺の埋立てに伴い海から遠ざかり、大正末期には灯台の役目を終えた。昭和49年(1974年)、現在の地に、昔の形状で鉄筋コンクリート造により再建された。 |
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施設名 | 新木津川大橋と木津川渡船場 地図 |
所在地 | 大正区船町1丁目1番、住之江区平林北1丁目1番 |
詳細情報 | 木津川渡船は大正区船町1丁目と住之江区平林北1丁目を結んでいる(岸壁間238m)。昭和30年からカーフェリーを運航し乗用車から大型トラックまで運搬し得る能力を持っていたが、上流部に千本松大橋が開通し、今は人と自転車のみを運ぶ渡船となっている。新木津川大橋は、木津川 |
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施設名 | 大正区の渡船場の景観 地図 |
所在地 | 大正区船町1丁目1番、住之江区平林北1丁目1番 |
詳細情報 | 大正区は四方を川と海に囲まれた地域であり、橋梁が整備された現在も、渡船は、区民の生活に欠かせない貴重な足としての役割を担っている。市内に8ヶ所ある渡船場のうち7ヶ所は大正区にあり、その景観には、水の都に思いを馳せさせるとともに、深く歴史を感じさせる力がある |
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施設名 | 名村造船所大阪工場跡地 地図 |
所在地 | 住之江区北加賀屋4丁目1番55号 |
詳細情報 | 昭和6年(1931年)に稼働した名村造船所大阪工場の跡地が、当時の面影を残したまま、平成16年(2004年)、クリエイティブな活動をサポートする複合アートスペース「CCO(クリエイティブセンター大阪)」として整備されている。名村造船所大阪工場跡地は、「ものづくり大国・ |
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施設名 | 大正区の渡船場の景観 地図 |
所在地 | 大正区鶴町1丁目16番、船町1丁目3番 |
詳細情報 | 大正区は四方を川と海に囲まれた地域であり、橋梁が整備された現在も、渡船は、区民の生活に欠かせない貴重な足としての役割を担っている。市内に8ヶ所ある渡船場のうち7ヶ所は大正区にあり、その景観には、水の都に思いを馳せさせるとともに、深く歴史を感じさせる力がある |
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施設名 | 千本松大橋と千本松渡船場 地図 |
所在地 | 大正区南恩加島1丁目11番、西成区南津守5丁目4番 |
詳細情報 | 千本松渡船は大正区南恩加島1丁目と西成区南津守5丁目を結ぶ(岸壁間230メートル)。千本松の渡しが設けられた年代ははっきりしないが、大正時代の中頃に初めて設けられたものと思われる。現在も通勤通学の貴重な交通手段として利用されている。昭和48年(1973年)、この岸・ |
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施設名 | 大正区の渡船場の景観 地図 |
所在地 | 大正区南恩加島1丁目11番、西成区南津守5丁目6番 |
詳細情報 | 大正区は四方を川と海に囲まれた地域であり、橋梁が整備された現在も、渡船は、区民の生活に欠かせない貴重な足としての役割を担っている。市内に8ヶ所ある渡船場のうち7ヶ所は大正区にあり、その景観には、水の都に思いを馳せさせるとともに、深く歴史を感じさせる力がある |
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施設名 | 大阪市立大学(杉本キャンパス) 地図 |
所在地 | 住吉区杉本3丁目3番138号 |
詳細情報 | 大阪市の南部、大和川を臨む地にある杉本キャンパスは緑豊かな清々しい環境が魅力の1つとなっている。杉本キャンパスのシンボル的存在である1号館(昭和9年(1934年)竣工)は国の登録有形文化財に登録されている。敷地中央にある「学術情報総合センター」は世界的に貴重な・ |
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施設名 | 大依羅神社 地図 |
所在地 | 住吉区庭井2丁目18番16号 |
詳細情報 | この神社は、当時の豪族依綱吾彦氏の祖神、建豊波豆羅和気王(たけとよはづらわけのきみ)、住吉三神を祭神としている。式内社で、古くは朝廷から住吉大社に次ぐ扱いを受けていた。神社の南側参道前には6世紀から7世紀に造成された日本で最も古いとされる依綱池跡碑があり・ |
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施設名 | 極楽寺 地図 |
所在地 | 住吉区遠里小野5丁目11番2号 |
詳細情報 | 榎津寺(えなつでら)の極楽院が、この寺の前身とされているが創建は不明で、本尊の毘沙門天は信貴山の毘沙門天と同じ材といわれる。楠木正成の両親が本尊に子宝を祈願し正成が誕生し、そのお礼に正成が寄進したとされる、石灯籠(重要文化財)が境内に、また正成お手植えと |
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施設名 | 止止呂支比売命神社 地図 |
所在地 | 住吉区沢之町1丁目10番4号 |
詳細情報 | 祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)。創建年代は不明だが神功皇后の創建とも伝えられている。若松神社は地元の愛称で、承久3年(1221年)後鳥羽上皇が行幸、造られた行宮を若松御所と名付けたことに由来。かつては住吉大社の摂社であった・ |
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施設名 | 吾彦山大聖観音寺(通称あびこ観音) 地図 |
所在地 | 住吉区我孫子4丁目1番20号 |
詳細情報 | 正式には「吾彦山」、寺号を「大聖観音寺」と称し、日本最古の観音信仰道場・厄除けの寺として有名。昔、この地に住んでいた依羅吾彦(よさみのあびこ)という勢力のある一族が、百済の聖明王から身の丈約5cmの小さな観音像を贈られた。人々は御堂を建てて信心したが、今か・ |
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施設名 | 地蔵尊のある風景(安立連合町会のなかの紀州街道沿いのお地蔵様) 地図 |
所在地 | 住之江区住之江1丁目近辺(紀州街道沿い) |
詳細情報 | 古い町並みが残る地蔵尊の風景は住之江区の大切な景観となっている。当地の「安立」という地名は、元和年間(1615年〜1623年)に、名医として名を馳せた半井安立がここに居を構えたことにちなむ。多くの人がその治療を求めて集まり、いつしか町が形成されたといわれている。 |
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施設名 | 浅沢神社 地図 |
所在地 | 住吉区上住吉2丁目11番21号 |
詳細情報 | 住吉といえば「初辰まいり」が有名だが、初辰とは、毎月最初の辰の日のこと。この日に参拝すれば、より一層力を与えて守り助けてくれると信仰されている。商売発達のために遠方から訪れる人も多い。種貸社、楠?社、浅沢神社、大歳社の四社をそれぞれにお参りするのが慣わし・ |
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施設名 | 蔵のある住宅 地図 |
所在地 | 住吉区墨江1丁目5番14号 |
詳細情報 | 大歳神社から国道479号線に向かうとすぐ左手に見られ、白壁と板壁の珍しい造りをしている。白壁と板壁の蔵、カイヅカイブキの古木、和風とモダンの住宅が美しく調和している。 |
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施設名 | 大歳社 地図 |
所在地 | 住吉区墨江1丁目5番 |
詳細情報 | 住吉大社の境外末社で、祭神は大歳神 (おおとしのかみ) 。収穫の神であるところから、集金・商売繁盛・家内安全・願望成就に神徳があり、毎月最初の辰の日に参る「初辰まいり」では、種貸社、楠?社、浅沢神社と参り、ここで集金・収穫に感謝してしめくくる。拝殿右横の石柱・ |
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施設名 | 住吉子安地藏寺(すみよしのこやっさん) 地図 |
所在地 | 住吉区墨江1丁目6番7号 |
詳細情報 | 地蔵寺は承応3年(1654年)に僧承圓(しょうえん)が建立したという天台宗の寺院である。本尊の地蔵菩薩は、伝教大師作と伝えられ、地元では子安さんと親しまれている。平安時代の木造地蔵菩薩立像の優品で、大阪市指定有形文化財に指定されている。門前に百度石、門内に五大・ |
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施設名 | 木下家住宅 地図 |
所在地 | 住吉区上住吉1丁目8番28号 |
詳細情報 | 「住吉街道」沿いに建つ大壁造りの漆喰壁の町家建築で、二階部分に虫籠窓が見られる。虫籠窓は角材に荒縄を巻いて土で塗り込んだもの。虫籠窓にはさまざまな説があり、防火目的と心理的な効果が狙いといわれている。また、二階造りの表を美しくみせるために生み出されたと |
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施設名 | 熊野街道(HOPEゾーン内) 地図 |
所在地 | 住吉区住吉1丁目〜上住吉2丁目 |
詳細情報 | 熊野街道は、和歌山県熊野本宮への参詣道で、平安時代から鎌倉時代にかけて「蟻の熊野詣」といわれる程、多くの人々の往来で賑わった。京都から淀川を舟で下り、八軒家(中央区天満橋京町)に上陸した人々は上町台地を縦断、途中所在する「熊野九十九王子」(住吉区では津守王・ |
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施設名 | すみよし村ぎゃらりー 地図 |
所在地 | 住吉区住吉1丁目9番16号 |
詳細情報 | 住吉の歴史が体感できる「すみよし村ぎゃらりー」は、住吉街道沿いの古い民家をリニューアルした建物。住吉にちなんだ住吉踊りの傘や昔の油屋の状況を展示している。明治初めの建築で大和棟町家。また、馬つなぎのある珍しい町家である。 |
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施設名 | 池田家住宅 地図 |
所在地 | 住吉区住吉1丁目9番22号 |
詳細情報 | 住吉大社の東参道4つ辻角にあり、表の屋根には高灯籠が置かれている。白壁の虫篭窓、防火防炎のため土壁のように柱を壁で厚く覆っている。老舗味噌屋の池田屋本舗として、今でも昔ながらの製法を伝えている。屋根に設置された高灯籠、白壁の虫篭窓等外観だけでも歴史を感じ・ |
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施設名 | 荘厳浄土寺 地図 |
所在地 | 住吉区帝塚山東5丁目11番14号 |
詳細情報 | 住吉の三大寺のひとつで、真言律宗の寺院。本尊は不動明王。創建は天慶年間の頃(930〜946年)と推定される。応得元年(1084年)白河天皇の勅願寺として再建され名を賜る。四天王寺と並ぶ壮麗な寺院だったが、戦火などにあって、現在に至る。現在の堂は天和2年(1682年) に再建 |
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施設名 | 神須牟地神社 地図 |
所在地 | 住吉区長居西2丁目1番4号 |
詳細情報 | 延喜式内の古社であって、遠く二千年昔の創建と伝えられる。祭神は神産霊大神・天日鷲命・少名彦命とされる。古来、酒造、医薬の祖神として信仰された。本社殿は、慶長年間、兵火にあったが、豊臣の浪人、多賀谷氏他4名の協力により、元和4年(1618年)再建された。元文元・ |
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施設名 | 真宗大谷派西光寺 地図 |
所在地 | 住吉区苅田6丁目10番5号 |
詳細情報 | 真宗東本願寺派の末寺で、的場山と号す。阿弥陀仏を本尊とする。的場才門太郎というものが、正安年間(1299−1301)浄土真宗に帰依し本寺を草創したと伝えられる。弘冶年間(1555-1557)にいたって西光寺という寺号を称した。当時の住職浄円が中興の祖とされている。 |
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施設名 | 苅田の大楠 地図 |
所在地 | 住吉区苅田6丁目10番12号 |
詳細情報 | 苅田の鎮守様は、草津大歳神社といい、現在の苅田福祉会館のある場所に鎮座していた。大阪市の保存樹に指定されている「苅田の大楠」はご神木。 |
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施設名 | 保利神社 地図 |
所在地 | 住吉区長居東1丁目14番17号 |
詳細情報 | 神社創建の年代は不詳である。里伝によれば、足利時代に周防守(すおうのかみ)某なるものが本地に城を築いたとき、城の守護神として勧請されたといわれている。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)。境内に6基の力石がある。これは、力 |
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施設名 | 喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口) 地図 |
所在地 | 平野区喜連3丁目7番、4丁目5-7番、6丁目1-5番 |
詳細情報 | 古くから喜連環濠集落の6か所の出入口には地蔵尊が祀られている。中高野(なかこうや)街道の環濠南入口の大手前を意味する「馬倉(ばくら)地蔵尊」から反時計まわりに、「安政」の石碑が傍らに残っている立派な体格の「東口地蔵尊」、地蔵盆には「寛政」の膳が供えられる・ |
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施設名 | 喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口) 地図 |
所在地 | 平野区喜連3丁目7番、4丁目5-7番、6丁目1-5番 |
詳細情報 | 古くから喜連環濠集落の6か所の出入口には地蔵尊が祀られている。中高野(なかこうや)街道の環濠南入口の大手前を意味する「馬倉(ばくら)地蔵尊」から反時計まわりに、「安政」の石碑が傍らに残っている立派な体格の「東口地蔵尊」、地蔵盆には「寛政」の膳が供えられる・ |
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施設名 | 旧屋敷小路(喜連環濠地区内) 地図 |
所在地 | 平野区喜連4丁目4番付近 |
詳細情報 | 喜連環濠地区の旧中高野街道沿いには、江戸期から明治期にかけて建てられた旧家の建物など、歴史的まち並みが残されている。古代の村が中世の環濠集落、近世の惣村へと発展していったことを裏付ける遺跡群が再発見され、その歴史が明らかになりつつある。 |
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施設名 | 喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口) 地図 |
所在地 | 平野区喜連3丁目7番、4丁目5-7番、6丁目1-5番 |
詳細情報 | 古くから喜連環濠集落の6か所の出入口には地蔵尊が祀られている。中高野(なかこうや)街道の環濠南入口の大手前を意味する「馬倉(ばくら)地蔵尊」から反時計まわりに、「安政」の石碑が傍らに残っている立派な体格の「東口地蔵尊」、地蔵盆には「寛政」の膳が供えられる・ |
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施設名 | 教西寺 地図 |
所在地 | 平野区喜連東2丁目1番22号 |
詳細情報 | 焼杉板の塀で囲われている浄土真宗本願寺派の寺院。推古2年(594年)に聖徳太子が阿弥陀仏を本尊として創建された。現本堂は江戸時代に建立したもので、形式は「道場」形式を基本にした小規模かつ奥行きのある「妻入」形式の建物である。 |
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施設名 | 宗教法人住吉大社 地図 |
所在地 | 住吉区住吉2丁目9番89号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:草創は神功皇后の海外渡航時の安全祈願の故事に由来すると伝えられるが、現在の本殿4棟は、文化5年(1808年)造営されたもので、桧皮葺き・切妻造り妻入りの住吉造りと称され、市内唯一の国宝建造物である。境内には、慶長11年(1606年・ |
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施設名 | 上田家住宅 地図 |
所在地 | 住吉区住吉1丁目5番20号 |
詳細情報 | 明治43年(1910年)の建築、瓦葺き切妻屋根、出格子や駒寄せなどの伝統的な町屋の形態を持っている。HOPEゾーン事業のまちなみ修景補助制度により、改修された。昔の住吉らしいまちなみの面影が感じられる。 |
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施設名 | 生根神社 地図 |
所在地 | 住吉区住吉2丁目3番15号 |
詳細情報 | 創立は不詳であるが延喜式神明帳(927年)に記載されている。桧皮葺・壱間社流(いっけんしゃながれ)造りの建物で、正面千鳥破風や扉の装飾などに、桃山時代の華麗な様式を残す。江戸時代は住吉大社の摂社であった。生根神社本殿は大阪府有形文化財に指定されている。 |
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施設名 | 阪堺電気軌道住吉交差点 地図 |
所在地 | 住吉区住吉2丁目9番 |
詳細情報 | 阪堺電気軌道の上町線と阪堺線、2つの路線が道路上で交差する。阪堺電車は現在大阪市内を走る唯一の路面電車で、通称「ちん電」と呼ばれている。上町線の前身は明治33年(1900年)開業の軌道に乗った客車を馬が引く馬車鉄道だった。明治43年(1910年)には電化工事が完成し・ |
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施設名 | 天王山東福寺 地図 |
所在地 | 住吉区住吉1丁目7番15号 |
詳細情報 | 弘法大師が開祖した当時は熊野街道沿いに位置した。本尊の毘沙門天は、楠木正成の千早城における、念持仏といわれている。秘仏のため正月3日間にかぎっての御開帳が行われている。他にも、室町期の作の四天王が文化財として貴重である。 |
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施設名 | 閻魔地蔵尊 地図 |
所在地 | 住吉区東粉浜3丁目5番11号 |
詳細情報 | 地蔵が閻魔大王に化身したもので、難波の浜から背負って運んで来たが、この地で急に重くなり一歩も進めなくなったという。冥土の苦界六道の辻が、今では1本増えて七道の辻となっている。 |
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施設名 | WILL帝塚山 地図 |
所在地 | 住吉区帝塚山中4丁目10番14号 |
詳細情報 | 第22回(2002年)大阪まちなみ賞(大阪都市景観建築賞) 奨励賞受賞。小さい限られた敷地の中で、外には近隣に開かれたギャラリーを角地に持ち、住人には中庭の古い立木を囲んだ共有空間を提供している。先代からの既存の土蔵や庭石を生かした試みは、ともすれば崩れゆく風・ |
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施設名 | 帝塚山スタジオ(市川家住宅) 地図 |
所在地 | 住吉区帝塚山西4丁目4番39号 |
詳細情報 | 「帝塚山スタジオ・市川恵子フラメンコ舞踊研究所」として知られる。漆喰の壁と木がフラメンコに最適なことから、土蔵を本格的なフラメンコスタジオに再生使用している。母屋の2階部分が洋館で和洋折衷を採り入れた造りは帝塚山地域でも非常に珍しい。土蔵や和洋折衷を取り・ |
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施設名 | 万代池公園 地図 |
所在地 | 住吉区万代3丁目7番 |
詳細情報 | 万代池公園は、昭和15年(1940年)6月に開園された約4.4haの地区公園である。池の周囲にはサクラが植えられており、春の花の時期には池に浮かぶ小島から絶景を眺めることができる。 |
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施設名 | 蔵のある屋敷町 地図 |
所在地 | 住吉区帝塚山中1丁目、2丁目 |
詳細情報 | 帝塚山地区には屋敷町があり、近年の建物が建ち並ぶ中で和の懐かしい文化を今に伝える家が残っている。帝塚山の住宅開発の100年とともにある蔵。よく手入れされた屋敷に屹立する白壁の蔵がとても美しい。 |
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施設名 | 高谷家住宅 地図 |
所在地 | 住吉区帝塚山中3丁目8番18号 |
詳細情報 | 国の登録有形文化財及び市登録文化財(建造物)に登録されている。関東大震災を教訓にした大正13年(1924年)頃の建築。耐震・防火を強く意識して鉄骨造り、外壁はレンガとコンクリートブロック積みで、堅固な構造。切妻屋根のてっぺんには風見鶏、二つの屋根窓と煙突が童話 |
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施設名 | 帝塚山古墳 地図 |
所在地 | 住吉区帝塚山西2丁目31番 |
詳細情報 | 市内に残る4古墳のひとつで、5世紀頃の前方後円墳がほぼ原型をとどめているとされる。国の史跡に指定されている。埋葬者は不明だが、この付近に居宅があった豪族大伴金村の墓という説もある。万葉集第9巻1740番に「水江の浦島の子」が載っていることから、地元では浦島太郎・ |
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施設名 | 喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口) 地図 |
所在地 | 平野区喜連3丁目7番、4丁目5-7番、6丁目1-5番 |
詳細情報 | 古くから喜連環濠集落の6か所の出入口には地蔵尊が祀られている。中高野(なかこうや)街道の環濠南入口の大手前を意味する「馬倉(ばくら)地蔵尊」から反時計まわりに、「安政」の石碑が傍らに残っている立派な体格の「東口地蔵尊」、地蔵盆には「寛政」の膳が供えられる・ |
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施設名 | 喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口) 地図 |
所在地 | 平野区喜連3丁目7番、4丁目5-7番、6丁目1-5番 |
詳細情報 | 古くから喜連環濠集落の6か所の出入口には地蔵尊が祀られている。中高野(なかこうや)街道の環濠南入口の大手前を意味する「馬倉(ばくら)地蔵尊」から反時計まわりに、「安政」の石碑が傍らに残っている立派な体格の「東口地蔵尊」、地蔵盆には「寛政」の膳が供えられる・ |
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施設名 | 式内楯原神社 地図 |
所在地 | 平野区喜連6丁目1番38号 |
詳細情報 | 式内楯原神社は平野区喜連の旧集落のほぼ中央に位置する式内社(しきないしゃ)である。本殿は大型の一間社流造(いっけんしゃりゅうつくり)で、正面向拝(ごはい)の足元には浜床(はまゆか)を据え、向拝上には千鳥破風(ちどりはふ)と唐破風(からはふ)を付ける。屋根 |
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施設名 | 如願寺 地図 |
所在地 | 平野区喜連6丁目1番38号 |
詳細情報 | 崇峻天皇(すしゅん)元年(588年)、聖徳太子により「喜連寺(きれでら)」として創建され、後に弘法大師により再建され、弘仁8年(817年)「如願寺」と改号。木造彩色聖観音立像(もくぞうさいしきせいかんのんりゅうぞう)は平安期作の府指定文化財に指定されているほか・ |
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施設名 | 喜連環濠地区の6つの地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉、東口、南口) 地図 |
所在地 | 平野区喜連3丁目7番、4丁目5-7番、6丁目1-5番 |
詳細情報 | 古くから喜連環濠集落の6か所の出入口には地蔵尊が祀られている。中高野(なかこうや)街道の環濠南入口の大手前を意味する「馬倉(ばくら)地蔵尊」から反時計まわりに、「安政」の石碑が傍らに残っている立派な体格の「東口地蔵尊」、地蔵盆には「寛政」の膳が供えられる・ |
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施設名 | 八坂神社と椋の木 地図 |
所在地 | 平野区喜連東2丁目1番14号 |
詳細情報 | 東喜連村の氏神で素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀り、八坂神社と称していたが、嘉永年間に忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめ)(允恭(いんぎょう)天皇の皇后)を祀る媛天神(ひめてんじん)を合祀して東西神社となった。改称は、合祀により氏子が東西喜連村にまたが |
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施設名 | 旧南海電鉄平野線平野駅跡プロムナード 地図 |
所在地 | 平野区平野本町2丁目3番 |
詳細情報 | チンチン電車の愛称で親しまれた南海電鉄平野線の軌道跡地に、昭和58年(1983年)に設置された遊歩道。南海電鉄平野線は、大正3年(1914年)開通以来、多くの人々の交通手段として活躍したが、地下鉄谷町線の開通に伴い、昭和55年(1980年)に廃止された。 |
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施設名 | 小林新聞舗店舗 地図 |
所在地 | 平野区平野本町4丁目12番3号 |
詳細情報 | 2つずつ配したアーチ形の窓枠が特徴のレトロな建物で、「新聞屋さん博物館」にもなっている。明治22年(1889年)創業の、市内でもっとも古い新聞販売店で、建物は昭和4年(1929年)に建てられた。平成19年(2007年)国の登録文化財となった。 |
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施設名 | 野中山 全興寺(やっちゅうざん せんこうじ) 地図 |
所在地 | 平野区平野本町4丁目12番21号 |
詳細情報 | 1300年前、聖徳太子が建立し、薬師如来像を安置したのが草創と伝えられる。焼失により寛文元年(1661年)に再建された本堂は、府下でもっとも古い木造建築の一つ。境内には「地獄堂」や「小さな駄菓子屋さん博物館」等があり、来訪者を楽しませている。 |
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施設名 | 大念佛寺 地図 |
所在地 | 平野区平野上町1丁目7番26号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:融通念仏宗の総本山で、大治2年(1127年)に聖応大師(良忍上人)が開基したと伝えられている。明治31年(1898年)に火災があり本堂以下多数の堂宇を失った。現在の本堂は昭和13年(1938年)に竣工した大阪府内最大の木造建築物で、国の |
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施設名 | 末吉家住宅 地図 |
所在地 | 平野区平野上町2丁目3番5号 |
詳細情報 | 末吉家は平野七名家の一家で、東横堀川に今も残る末吉橋を架橋した。平野郷町誌によると、屋敷の竣工は宝永4年(1707年)頃で、築300年を超した現在もその壮麗な屋敷構えを見ることができる。江戸中期に建設された住宅、門、塀、西蔵は、国の登録有形文化財に登録されている |
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施設名 | 赤留比売命神社(三十歩神社) 地図 |
所在地 | 平野区平野東2丁目11番 |
詳細情報 | 杭全(くまた)神社の摂社で、新羅より渡来した女神、赤留比売命を祀る。俗称の三十歩神社は、応永年間(1394〜1428年)の干ばつ時に法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったためと言われる。社殿背後の土塁と松山池に、かつての環濠集落の名残が見られる。 |
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施設名 | 奥田邸とその裏の道 地図 |
所在地 | 平野区加美鞍作1丁目8番5号 |
詳細情報 | 代々鞍作の庄屋をつとめた奥田家の邸宅。現在の屋敷の建築年代は明らかではないが、手法から江戸時代初期の豪農の家と考えられる。市内に残る数少ない民家である。敷地をはじめ主屋・座敷・長屋門・納屋などが国の重要文化財に指定されている。 |
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施設名 | 杭全神社 地図 |
所在地 | 平野区平野宮町2丁目1番67号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:平安時代の初め、貞観4年(862年)に坂上廣野麿の子當道が、氏神を祭ったのが始まりとされる神社である。社殿のうち第二殿・第三殿は、永正10年(1513年)造営の記録があり、第一殿とあわせて国の重要文化財に、全国で唯一の連歌所は市・ |
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施設名 | 平野環濠跡 地図 |
所在地 | 平野区平野宮町2丁目1番 |
詳細情報 | 平野環濠のつくられた時期は不明であるが、戦国時代の動乱の時代に自衛と灌漑、排水あるいは洪水の調節池としての役割を担ったと考えられる。まちの周囲にめぐらされた濠は平野川ともつながっていたことから、舟運もひらけ、繁栄の基礎ともなった。 |
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施設名 | 新夕陽ヶ丘 地図 |
所在地 | 此花区北港緑地2丁目 |
詳細情報 | 舞洲スポーツアイランドにある新夕陽ヶ丘には白い屋根の展望台があり、小高い丘の上からは舞洲や大阪港ベイエリアが見渡せる。空気の澄んだ日は、遠く淡路島や明石海峡大橋も見える。また、丘からは日本夕陽百選にも選定されたすばらしい夕日を見ることができる。 |
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施設名 | 舞洲工場・舞洲スラッジセンター 地図 |
所在地 | 此花区北港白津1丁目2番28号 |
詳細情報 | 港から舞洲へ此花大橋を渡ると、一際目立つ建物が2つ見える。左側に見えるのが舞洲工場である。舞洲工場は、焼却設備と粗大ごみ処理設備が併設され、最新の公害防止施設の採用や最大限の余熱利用を行っている。右側に見える舞洲スラッジセンターは、下水汚泥を効率的に集中 |
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施設名 | 舞洲工場・舞洲スラッジセンター 地図 |
所在地 | 此花区北港白津2丁目2番7号 |
詳細情報 | 港から舞洲へ此花大橋を渡ると、一際目立つ建物が2つ見える。左側に見えるのが舞洲工場である。舞洲工場は、焼却設備と粗大ごみ処理設備が併設され、最新の公害防止施設の採用や最大限の余熱利用を行っている。右側に見える舞洲スラッジセンターは、下水汚泥を効率的に集中 |
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施設名 | 此花大橋 地図 |
所在地 | 此花区北港2丁目、北港白津1丁目 |
詳細情報 | 此花大橋は、此花区北港(既成市街地)と、舞州(人工島)を結ぶ橋として平成2年(1990年)に完成した、全長1.7kmの長大橋である。主橋部は、世界でも珍しいモノケーブル自碇式吊橋(主径間300m)と呼ばれる形式で、1本のメインケーブルによって橋桁を吊り下げている構造 |
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施設名 | 港大橋 地図 |
所在地 | 港区海岸通3丁目・住之江区南港東9丁目間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:昭和49年(1974年)に完成した最大支間長510mのダブルデッキ形式のゲルバートラス橋で、阪神高速道路に架けられた橋の中で最も長い支間長を持ち、トラス橋としては世界第3位の規模を誇っている。また、橋下を4万トン級の大型コンテナ船 |
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施設名 | 千歳橋と千歳渡船場 地図 |
所在地 | 大正区北恩加島2丁目5番、鶴町4丁目1番 |
詳細情報 | 千歳渡船は大正区鶴町4 丁目と同区北恩加島2 丁目を結んでいる(岸壁間371m)。鶴町側からは、多くの船が浮かぶ大正内港のかなたに、昭和山(標高33m)や千島団地等が眺められ、尻無川の広々とした河口風景ともあいまって、ウォーターフロントの美しい景観となっている。平成15・ |
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施設名 | 大正区の渡船場の景観 地図 |
所在地 | 大正区北恩加島2丁目5番、鶴町4丁目1番 |
詳細情報 | 大正区は四方を川と海に囲まれた地域であり、橋梁が整備された現在も、渡船は、区民の生活に欠かせない貴重な足としての役割を担っている。市内に8ヶ所ある渡船場のうち7ヶ所は大正区にあり、その景観には、水の都に思いを馳せさせるとともに、深く歴史を感じさせる力がある |
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施設名 | 大阪市築港赤レンガ倉庫 地図 |
所在地 | 港区海岸通2丁目6番1号 |
詳細情報 | 大正12年(1923年)、住友倉庫により港湾倉庫として建設。港区では空襲にも焼け残った数少ない建造物。現在は大阪市が管理している。耐震上の問題から閉鎖しているが、広く市民に親しんでいただけるよう隣接する広場を開放するなど、今後とも倉庫の活用に向けた検討を行うこ |
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施設名 | 大正内港のはしけ桟橋 地図 |
所在地 | 大正区千島3丁目24番 |
詳細情報 | 大正中期から昭和初期、千島新田と泉尾新田一帯に、運河・貯木場・水路の開削と道路・橋梁・宅地盛土などの開発工事が実施され、材木業者が誘致された。昭和7、8年(1932、1933年)頃には業者数約600戸の木材街が出現し、その木材市場は業界の一大中心地となった。昭和50年(1 |
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施設名 | 千島公園(昭和山) 地図 |
所在地 | 大正区千島2丁目7番 |
詳細情報 | 千島公園は、昭和51年(1976年)4月に開園された約11.2haの区を代表する総合公園である。千島公園内にある昭和山は、江戸時代に造られた天保山を模して昭和に造られた人工の山である。クスノキやケヤキなどが茂り、ツツジ、ヤマブキ、クチナシ、アセビが花を咲かせる大正区の |
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施設名 | 大正区の渡船場の景観 地図 |
所在地 | 大正区平尾1丁目1番、西成区津守2丁目8番 |
詳細情報 | 大正区は四方を川と海に囲まれた地域であり、橋梁が整備された現在も、渡船は、区民の生活に欠かせない貴重な足としての役割を担っている。市内に8ヶ所ある渡船場のうち7ヶ所は大正区にあり、その景観には、水の都に思いを馳せさせるとともに、深く歴史を感じさせる力がある |
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施設名 | 大正区の渡船場の景観 地図 |
所在地 | 大正区泉尾7丁目13番、港区福崎1丁目3番 |
詳細情報 | 大正区は四方を川と海に囲まれた地域であり、橋梁が整備された現在も、渡船は、区民の生活に欠かせない貴重な足としての役割を担っている。市内に8ヶ所ある渡船場のうち7ヶ所は大正区にあり、その景観には、水の都に思いを馳せさせるとともに、深く歴史を感じさせる力がある |
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施設名 | 木津川水門 地図 |
所在地 | 大正区三軒家東3丁目6番 |
詳細情報 | 木津川水門は、造船所などがならぶ木津川にあるアーチ型水門である。台風などで押し寄せてくる大阪湾からの高潮をせき止めることを目的に、昭和45年(1970年)11月に整備された。アーチ型ゲートの主水門とスイング式ゲートの副水門からなっており、主水門の径間は57m、副水 |
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施設名 | 大正区の渡船場の景観 地図 |
所在地 | 大正区千島1丁目29番、西成区北津守4丁目15番 |
詳細情報 | 大正区は四方を川と海に囲まれた地域であり、橋梁が整備された現在も、渡船は、区民の生活に欠かせない貴重な足としての役割を担っている。市内に8ヶ所ある渡船場のうち7ヶ所は大正区にあり、その景観には、水の都に思いを馳せさせるとともに、深く歴史を感じさせる力がある |
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施設名 | 桜通り 地図 |
所在地 | 港区磯路3丁目〜弁天3丁目 |
詳細情報 | 桜通りには、南北800mに渡ってソメイヨシノとサトザクラが植えられている。桜並木は、地域住民により植えられ、管理されているもので、港区の桜の名所となっている。桜の開花時期には地元愛護会によりぼんぼりが飾られる。 |
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施設名 | 旧岩崎運河 地図 |
所在地 | 西区千代崎3丁目、大正区三軒家西1丁目、2丁目地先 |
詳細情報 | 木津川と尻無川を結ぶ長さ560mの運河。尻無川が大型船の航行に不向きであったため、尻無川と木津川を結ぶために大正9年(1920年)に開削された。下流には、昭和3年(1928年)に岩崎運河橋梁が架けられ、JR環状線の一部となっている。右岸には、岩崎橋地区の開発に合わせ・ |
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施設名 | 大阪アドプト・リバー・千代崎(木津川右岸) 地図 |
所在地 | 西区千代崎2丁目、3丁目地先 |
詳細情報 | 水の都大阪再生構想の一環として大阪府により木津川右岸に船着場と遊歩道が整備された。それに伴い、平成17年(2005年)、千代崎連合振興町会と大阪府との間でアドプトリバー・プログラム協定が締結され、本区間は美化・清掃活動により美しい景観が保たれている。 |
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施設名 | 京セラドーム大阪 地図 |
所在地 | 西区千代崎3丁目 |
詳細情報 | 平成9年(1997年)にオープンした全天候型の多目的ドーム。アリーナ上部の大屋根の外周に、さらに小型の屋根が取り囲むようにうねりながら続いている点が特徴的。プロ野球やスポーツイベント、文化イベントなど、年間を通じて各種イベント等に活用されている。 |
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施設名 | 道頓堀川水門 地図 |
所在地 | 西区南堀江4丁目、浪速区幸町3丁目 |
詳細情報 | 平成12年度(2001年3月)完成。東横堀川水門とあわせ、高潮防御機能、水質浄化機能、舟運活性化機能などの役割を果たしている。木津川の対岸にある岩崎橋地区の景観に配慮した設計となっており、近未来的な外観デザインが特徴的である。 |
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施設名 | 安治川水門 地図 |
所在地 | 港区弁天6丁目 |
詳細情報 | 大阪ではジェーン台風や第2室戸台風など高潮による大きな被害を受けてきたことから、その対策として、昭和45年(1970年)に建設された。耐震、耐風の安全性や、船舶航行時の必要上部空間を確保出来ることからアーチ型水門(幅57m)が採用された。 |
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施設名 | 島谷家住宅 地図 |
所在地 | 西区本田4丁目9番3号 |
詳細情報 | 本田4丁目には戦災を逃れた長屋の街並みが残っている。その一角にある長屋住宅では、1階に格子の玄関や出格子の窓が見られ、1階屋根と2階屋根の間にうだつが上がっている。 |
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施設名 | トンネルの路地 地図 |
所在地 | 福島区野田2丁目17番12号 |
詳細情報 | 野田商店街を北から南へと安治川の方へ抜ける途中の大野町公園を少し通りすぎた所にトンネルの路地がある。この路地は古い民家と薬屋さんの間の長さが10mにも満たない狭い通路であるが、民家の屋根が路地の上を覆いトンネルになっている。 |
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施設名 | 野田緑道 地図 |
所在地 | 福島区野田4〜5丁目 |
詳細情報 | 野田緑道は、昭和60年3月に廃線となった中央卸売市場への引き込み線跡地を公園として、整備したものである。地域の環境にうるおいを与える公園として整備され、現在では住民の憩いの空間として親しまれている。 |
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施設名 | 日本聖公会川口基督教会 地図 |
所在地 | 西区川口1丁目3番8号 |
詳細情報 | 煉瓦造の聖堂は大正9年(1920年)に竣工。設計者は建築家ウィリアム・ウィルソン。東側に玄関ホールを設け、東南角に高さ19mの搭屋を構える。平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたが、関係者の熱意により修復された。 |
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施設名 | 安治川 地図 |
所在地 | 西区川口2丁目、福島区野田1丁目〜港区弁天6丁目、此花区西九条7丁目地先 |
詳細情報 | 貞享元年(1684年)、幕府の命を受けた河村瑞賢によって開削された。その結果、大阪の街の中心へ船の出入りが容易になり大阪の発展に寄与した。河川の両岸には、舟運が盛んだったころを偲ばせる工場や倉庫などが建ち並び、「大阪港開港の地」の碑をはじめ、多くの石碑が存在 |
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施設名 | 大阪市中央卸売市場本場 地図 |
所在地 | 福島区野田1丁目1番86号 |
詳細情報 | 大阪市中央卸売市場本場は、青果・水産物とその加工品や加工食料品を扱う卸売市場。西日本一の取扱高を誇る大規模集散市場である。近年は食品流通の基幹的役割を果たす機能や耐震構造の施設への建替を行い、安治川沿いには船着場や緑道が整備され区民の憩の場になっている。 |
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施設名 | 本宮鴉宮 地図 |
所在地 | 此花区伝法2丁目10番18号 |
詳細情報 | 鎌倉時代初期、順徳天皇の御代建保2年3月17日(1214年)傅母(でんぽう)、現在の伝法町の開拓が始まり、建保3年4月25日(1215年)村と港、全国の繁栄を祈願し旧社名傅母頭(もりす)神社を創建。文禄元年2月19日(1592年)大閤豊臣秀吉が渡航の際、御神前に祈願する |
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施設名 | 澪標住吉神社 地図 |
所在地 | 此花区伝法3丁目1番6号 |
詳細情報 | 延暦23年(804年)、遣唐使の航路安全を祈願してほこらを造り、一行の帰路を迎えるため、澪標(みおつくし)を立てたのがはじまりといわれている。後に、土地の守護神・海上交通の神として神殿境内が整えられた。澪標は、大阪市の市章のデザインになっている。 |
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施設名 | 旧鴻池本店・本宅 地図 |
所在地 | 此花区伝法4丁目3番55号 |
詳細情報 | 旧本店は、明治43年(1910年)に建てられた、クラシック・モダンな木造洋館である。内部は流れるような美しい曲線と曲面、平滑な壁面などを特徴とするアールヌーボー様式を取り入れており、全国的にみても貴重な建物といえる。日本建築学会から「特に重要なもので注目すべき・ |
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施設名 | 春日神社(野田藤発祥の地) 地図 |
所在地 | 福島区玉川2丁目2番7号 |
詳細情報 | 春日神社は、新なにわ筋、玉川南公園の東、緑の玉垣に囲まれた小さな祠。野田村の庄屋であった藤家の氏神として祭られ、往時は広大な境内に大木に絡まりフジが一面に咲いていた。室町幕府二代将軍・足利義詮や豊臣秀吉もフジ見物に訪れたと伝わる。江戸時代は「藤之宮」とよ |
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施設名 | 野田恵美須神社 地図 |
所在地 | 福島区玉川4丁目1番1号 |
詳細情報 | 野田恵美須神社は「野田のえべっさん」で親しまれている。いつごろ創建されたのかは不明であるが、境内にある御影石に永久3年(1115年)と刻まれていることから、その頃と推測される。古来から「恵美須の大神」は漁業の神として祀られており、当時このあたりは難波八十島と・ |
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施設名 | 野田の長屋 地図 |
所在地 | 福島区野田3丁目13番38号〜41号 |
詳細情報 | 福島区は戦災の被害にあまり遭わなかったため、長屋など昔の住居が比較的多く残っており、うだつのある家もある。昭和に入ってガラスが比較的安価に入手出来るようになり、大きくガラス窓を配した長屋が人気だった。 |
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施設名 | 莫大小(メリヤス)会館 地図 |
所在地 | 福島区福島3丁目1番39号 |
詳細情報 | 堂島大橋北詰に位置する「莫大小(メリヤス)会館」は、大阪輸出莫大小工業組合が、組合の事務所として、昭和4年(1929年)の第1期、昭和12年(1937年)の第2期に分け建設した。伸縮自在なメリヤスは莫大にも小にもなる意味から「莫大小(メリヤス)」とされた。現在は、テ・ |
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施設名 | 樹齢200年のクスノキ 地図 |
所在地 | 福島区海老江3丁目4番20号 |
詳細情報 | 樹齢約200年のクスノキが民家の塀から道にせり出して生えている。この木は一見すると塀の外から生えてきたように見えるが、実は根が家の地下までおよんでいる。背の高いトラックが枝に当るたびに振動が伝わり、家が大きく揺れるそうである。 |
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施設名 | 海老江八坂神社 地図 |
所在地 | 福島区海老江6丁目4番2号 |
詳細情報 | 境内に天治(1120年代)の年号が刻まれた石灯籠があり、相当古い神社である。その昔は、牛頭天王社と呼ばれていたが、明治の初め八坂神社に改称された。この辺りは元々河口の砂洲で干拓により村ができ、鎮守社として創建されたものと思われる。毎年12月に古式そのままに、非公 |
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施設名 | 福島天満宮 地図 |
所在地 | 福島区福島2丁目8番1号 |
詳細情報 | この天満宮は俗に「上之天神」と言われ、祭神は菅原道真・大国主命・事代主神などを祀っている。社伝によれば、延喜元年(901年)に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、当地の里人徳次郎が旅情を慰めたことをいたく喜ばれ、この辺りを餓飢島と呼ばれ・ |
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施設名 | 旧川崎貯蓄銀行福島出張所(ミナミビル) 地図 |
所在地 | 福島区福島5丁目17番7号 |
詳細情報 | JR新福島駅近くの国道2号線に面したミナミ株式会社の建物は昭和9年(1934年)に建てられ、国の登録文化財に登録されている。鉄筋2階・地下1階建てのミナミビルは、イオニア式の4本の円柱が取り付けられた正面が後方に緩やかなカーブを描き、奥行き感を出している。玄関の円弧・ |
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施設名 | 聖天了徳院 地図 |
所在地 | 福島区鷺洲2丁目14番1号 |
詳細情報 | 聖天さんの参道は、聖天通り商店街として江戸時代から栄えていたといわれる。今も住民の憩いの中心的寺院である。真言宗東寺派の寺院で歓喜天を祀っている。古くから「浦江の聖天さん」と呼ばれて親しまれ、大変賑わったところである。また、境内の桜・藤・杜若などが目を楽 |
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施設名 | 日本基督教団 大阪福島教会 地図 |
所在地 | 福島区福島7丁目19番16号 |
詳細情報 | 大阪福島教会は心斎橋の大丸百貨店を手がけた建築家のヴォーリズの設計により昭和元年(1926年)に起工し、同年12月に竣工、昭和2年(1927年)に献堂式を行った。その後2回の修繕を経て、戦後の昭和25年(1950年)の大修理で装いを一変した。 |
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施設名 | 通天閣 地図 |
所在地 | 浪速区恵美須東1丁目18番6号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:通天閣は、明治45年(1912年)内国勧業博の会場跡に新世界・ルナパークとともに完成。昭和18年(1943年)火災にあい、鉄材供出により解体され姿を消したが、地元の熱い思いを受けて、昭和31年に2代目通天閣が再建された。高さ103m、円・ |
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施設名 | 一心寺 地図 |
所在地 | 天王寺区逢坂2丁目8番69号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:約800年前に法然上人が、四天王寺の西、海に沈む夕陽が望めるあたりに造った草庵が一心寺のはじまりで、骨仏の寺として全国的に有名。昭和20年(1945年)、戦災によりほとんど焼失したが、その後、昭和41年(1966年)には本堂が再建され |
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施設名 | 総本山四天王寺 地図 |
所在地 | 天王寺区四天王寺1丁目11番18号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:四天王寺は、推古天皇元年(593年)聖徳太子により創建された日本最古の官寺で、南北一列に並ぶ伽藍配置は四天王寺様式と呼ばれる。たびたびの戦火や災害にあたってきたが、西門の石鳥居や、元和9年(1623年)再建の六時堂・五智光院・・ |
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施設名 | 南海ビル(難波駅・島屋) 地図 |
所在地 | 中央区難波5丁目1番5号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:御堂筋の建設を前後して、昭和7年(1932年)、ミナミの玄関口に4代目の南海難波駅が完成。現在もミナミのターミナルの役割を果たしている。ビルの外壁はすべてテラコッタ※が張り詰められ、連続する半円アーチと古典的な飾りのある円柱・ |
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施設名 | 御堂筋 地図 |
所在地 | 中央区北浜3丁目、4丁目〜難波5丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大阪の都心部を南北に貫くメインストリートであり、美しい景観を有する大阪のシンボルロードでもある。昭和12年(1937年)完成。沿道建物の高さは約31mまでに制限され、整然とした景観がつくられた。平成7年(1995年)には、御堂筋沿い |
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施設名 | 大阪松竹座 地図 |
所在地 | 中央区道頓堀1丁目9番19号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大正12年(1923年)に関西初の洋式劇場として開館。豪華な装飾のある建物は、道頓堀の顔として人々に親しまれてきた。平成9年(1997年)、建物の正面全体に広がる優美な装飾レリーフ※をそのまま残し新築開場する。多くの劇場でにぎわっ |
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施設名 | 三津寺 地図 |
所在地 | 中央区心斎橋筋2丁目7番12号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:奈良時代の難波宮遷都の際に、僧の行基が開いたと伝えられる。寺院の台所や住居部分である庫裡は、昭和8年(1933年)の御堂筋拡張工事のときに新築されたもの。文化5年(1808年)に建てられた木造の本堂は、戦災を無事免れ、庫裡ともど・ |
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施設名 | 道頓堀グリコネオン 地図 |
所在地 | 中央区道頓堀1丁目10番1号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:昭和10年(1935年)に戎橋のそばに初めてグリコのネオン塔が立って以来、デザインが改良され、現在のもので5代目となる。高さ20m、横幅約11mと大規模で、ランナーが大阪城や海遊館、大阪ドーム、通天閣を背景に大阪の街を走るデザイン |
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施設名 | 法善寺水かけ不動尊 地図 |
所在地 | 中央区難波1丁目2番16号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:法善寺の西向不動尊。苔に包まれてきれいな緑色になったお不動さんは「水かけ不動」として親しまれている。お供え物を持ち合わせていなかった参拝客が、思わず水をかけて手を合わせたのが始まりだと伝えられている。 |
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施設名 | 道頓堀 地図 |
所在地 | 中央区道頓堀1丁目、宗右衛門町、心斎橋筋2丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:慶長17年(1612年)、安井道頓らが私財を投じて運河開削に着工、元和元年(1615年)完成。道頓堀川にかかる戎橋は昼夜を問わず多くの人々でにぎわっている。道頓堀川の水辺には道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」の整備が順次進・ |
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施設名 | 高津宮(高津神社) 地図 |
所在地 | 中央区高津1丁目1番29号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:平安初期、清和天皇が仁徳天皇の徳政を慕い、難波高津宮(たかつのみや)旧跡の地に社殿を築いてお祀りしたのが始まり。豊臣秀吉が大阪城築城に際して現在の地に移した。桜まつりや夏祭りなどの祭りが行われている。また、古典落語や文・ |
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施設名 | 東小橋の街並み 地図 |
所在地 | 東成区東小橋3丁目6番〜9番 |
詳細情報 | 東小橋にある比賣許曽神社の歴史は古く、古事記では新羅から渡来した赤留比売命を祀ったと記され、石山合戦の兵火にあい、現在の地に移ったとされている。比賣許曽神社の周辺は、かつて江戸時代・明治時代の東小橋村の中心であった。現在でも、比賣許曽神社のほか、安楽寺、 |
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施設名 | 玉津の昭和初期の街並み 地図 |
所在地 | 東成区玉津3丁目2番 |
詳細情報 | 玉津周辺は、映画「血と骨」の舞台となった場所である。映画に出てくる市電「大成通一丁目」停車場(昭和44年(1969年)廃止)の周辺には、サンデー毎日創刊時からの看板、昭和8年(1933年)創業の食堂など昭和初期の街並みが残っている。 |
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施設名 | 旧三井釦被服 地図 |
所在地 | 東成区大今里4丁目27番22号 |
詳細情報 | 今里周辺には明治中期から大正にかけてボタンや被服の製造に携わる事業者が数多く存在した。そのなかで三井釦被服は最も大きな事業者であった。この建物は、昭和初期に軍の要請で四条畷市に青年学校校舎として建てられたが、青年学校校舎としては使用されず、小学校仮校舎と |
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施設名 | 火袋式道標 地図 |
所在地 | 東成区大今里4丁目27番 |
詳細情報 | 暗越奈良街道と千日前通が交差する場所に立つ道標。上部を四角にくりぬいて火袋とし、上に笠をのせた形状をしている。文化3年(1806年)に釘問屋が建てたといわれており、道標には「右志き山、八尾久宝寺道 左いせ、なら道」と示されている。 |
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施設名 | 真言宗御室派密華山妙法寺 地図 |
所在地 | 東成区大今里4丁目16番50号 |
詳細情報 | 聖徳太子の創建と伝えられる。石山合戦で焼失した本堂は、享保年間(1716年頃)に再建された。近世国学の祖と言われる契沖が、延宝7年(1679)から元禄3年(1690)まで住職を務め、ここで「万葉代匠記」を記したといわれ、境内は大阪府の史跡に指定されている。 |
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施設名 | 深江の建築物、史跡群 地図 |
所在地 | 東成区深江南3丁目5番〜22番 |
詳細情報 | 昔、良質の菅の生い繁った深江の地に、笠を縫うことを職業とした大和の一族が集団移住したことが始まりと伝えられている。菅笠・菅細工などの伝統文化が現在も継承され、伊勢神宮式年遷宮に使用する菅笠を納めている。深江集落には、笠縫邑跡として史跡に指定されている深江 |
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施設名 | 大丸心斎橋店 地図 |
所在地 | 中央区心斎橋筋1丁目7番1号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大正14年(1925年)、第1期、第2期工事により心斎橋側が完成し、心斎橋筋に面する中央玄関上部に巨大なピーコックレリーフが掲げられた。昭和8年(1933年)には御堂筋の拡張整備に合わせて、御堂筋側が増築され高さ100尺(約30m)の外・ |
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施設名 | 長瀬産業大阪本社ビル本館 地図 |
所在地 | 西区新町1丁目1番17号 |
詳細情報 | 昭和3年(1928年)竣工。設計者は初代通天閣を設計した設楽貞雄。中央のバルコニーが特徴的で、外壁はスクラッチタイルを使用している。新館が昭和57年(1982年)に建てられているが、そのデザインは、立面の構成や窓の配列など旧館へ配慮している。 |
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施設名 | 原田産業(大阪本社ビル) 地図 |
所在地 | 中央区南船場2丁目10番14号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:昭和3年(1928年)竣工。大きな四角い窓とアーチ型の入口の対比がはっきりしたデザインが特徴的。窓からは吹き抜けの階段が臨める。貿易商社原田産業の本社屋として設計建築され、現在も同社の本社ビルとして使い続けられている。 |
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施設名 | 真宗大谷派 難波別院(南御堂) 地図 |
所在地 | 中央区久太郎町4丁目1番11号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:文禄5年(1596年)大谷本願寺として大坂渡辺の地に建立。慶長3年(1598年)大阪城の拡張により現在の地に移転。後に難波別院となり、「北御堂」と呼ばれた津村別院とともに「南御堂」と称されている。戦時中の大阪大空襲により焼失した・ |
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施設名 | 靱公園 地図 |
所在地 | 西区靭本町1丁目、2丁目 |
詳細情報 | 昭和30年(1955年)開園。なにわ筋を挟んで東西に分かれている。東園には、バラ園や四季に彩られるケヤキ並木などがある。バラ園はゆるやかに起伏する地形を生かして、東から西に向かって山、里山、田園、街と広がる「大阪のマチ構造」を表現し、平成16年(2004年)に再整備 |
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施設名 | 浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(北御堂) 地図 |
所在地 | 中央区本町4丁目1番3号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大阪の発祥は本願寺の寺内町形成に由来するが、本願寺は信長との石山合戦で大坂を退去。残った門徒たちが天満に集会所を設け、慶長2年(1597年)の町割改革により現在の地に移転。後に津村別院となる。明治元年(1868年)に大阪鎮台が・ |
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施設名 | 綿業会館 地図 |
所在地 | 中央区備後町2丁目5番8号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:東洋紡の役員であった岡恒夫の遺贈金と関係業界からの醸出金をもとに、綿業関係者の倶楽部会館として、昭和6年(1931年)に竣工した。設計は渡辺節。国の重要文化財に指定されている。 |
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施設名 | 矢田地蔵尊 地図 |
所在地 | 東成区東小橋1丁目4番2号 |
詳細情報 | 玉造駅から東に入った暗越奈良街道沿いにある。峠越えをして奈良へいくときに、ここで願掛けをしたといわれている。奈良の矢田寺に縁のある地蔵で、地蔵堂の中央に安置された石の地蔵尊には、矢田寺への道しるべが彫られている。 |
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施設名 | 北中道の古い街並み 地図 |
所在地 | 東成区中道4丁目16番、17番 |
詳細情報 | かつて平野川と暗越奈良街道とが交差する玉津橋は、交通の要所として賑わっていた。玉津橋西詰を北に入ると、通りの両側に蔵や板塀のある民家が連続しており、古い街並みを形成している。 |
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施設名 | 玉造稲荷神社 地図 |
所在地 | 中央区玉造2丁目3番8号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋にお祀りしたのが始まり。日本書紀に記された玉の故郷に鎮座し、豊臣・徳川時代には大阪城の鎮守神として崇められた。だんご茶会や玉造黒門越瓜食味祭(たまつくりくろもんしろうりしょくみ・ |
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施設名 | 大阪府庁本館 地図 |
所在地 | 中央区大手前2丁目1番22号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大正15年(1926年)竣工。現行の都道府県庁舎としては最も古い。外壁に石材と白い擬石タイルを広く用い、勾配のない水平の屋根とした外観意匠に特色があり、正面玄関の車寄せには個性的な装飾が施されている。大理石仕上げの床や階段を・ |
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施設名 | 大阪城公園 地図 |
所在地 | 中央区大阪城 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大阪城公園は、都心に位置する開設面積約105.6haの史跡を中心とした広大な歴史公園である。外濠に囲まれた73.4haは国の特別史跡に指定されており、多門櫓・千貫櫓など13棟の重要文化財を有するほか、大阪城天守閣や約600本の桜を楽しめ・ |
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施設名 | もと大阪市立博物館 地図 |
所在地 | 中央区大阪城1番1号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:昭和6年(1931年)に陸軍第4師団司令部の建物として竣工。終戦後は駐留軍施設として接収された。昭和23年(1948年)、大阪市警察本部として返還を受け、その後、府警本部となる。昭和35年(1960年)には博物館として一部開館し、2年後に |
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施設名 | 白山神社 地図 |
所在地 | 城東区中浜2丁目3番15号 |
詳細情報 | 白山神社は、菊理媛神(くくりひめのかみ)を祭神としている。創建年月は不詳であるが、明治5年(1872年)までは、白山権現と称していた。応永(1394年)の頃から中浜・鴫野・森の諸村の氏神であった。天正4年 (1576年)織田信長が石山本願寺を攻撃した時、社殿を焼失したが、 |
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施設名 | 江戸堀コダマビル 地図 |
所在地 | 西区江戸堀1丁目10番26号 |
詳細情報 | 昭和10年(1935年)個人の邸宅として建設。設計・施工はヴォーリズ建築を手がけた岡本工務店でファサードに特色がある。建設当時、敷地の南には江戸堀川が流れ、窓から川面が見えていた。現在は、物販店や貸会議室、音楽室などとして活用されている。国の登録有形文化財に登 |
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施設名 | 菅澤眼科クリニック 地図 |
所在地 | 西区土佐堀2丁目3番5号 |
詳細情報 | 昭和3年(1928年)に建築、昭和22年(1947年)に改修された眼科医院。正面玄関の柱とアーチ、ドイツから輸入されたタイル貼りの外壁、細長いアーチ窓が特徴的である。 |
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施設名 | 大阪ガスビルディング 地図 |
所在地 | 中央区平野町4丁目1番2号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:昭和8年(1933年)に御堂筋とともに誕生した。外壁は1・2階を石材で黒くまとめ、上部は白色のタイル張りとなっている。昭和41年(1966年)に北館が増築され、現在も大阪ガスビルとして使用されている。国の登録有形文化財に指定されて |
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施設名 | 芝川ビル 地図 |
所在地 | 中央区伏見町3丁目3番3号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:昭和2年(1927年)竣工。昭和4年(1929年)、ビル内に「芝蘭社家政学園」を開校。戦後はテナントビルとして使われている。竜山石※をふんだんに用いた彫りの深い装飾が施されている。国の登録有形文化財に指定されている。 ※竜山石: |
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施設名 | みおつくしプロムナード 地図 |
所在地 | 北区中之島1丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:市役所の南側に位置する延長約210mのケヤキ並木の自転車歩行者専用道となっている。また、期間限定で、夜間のライトアップも行われている。 |
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施設名 | 淀屋橋 地図 |
所在地 | 大阪市北区中之島1丁目、2丁目・中央区北浜3丁目、4丁目間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:大正10年(1921年)に決定された第一次都市計画事業における御堂筋の建設の一環として土佐堀川に架けられた。北側の大江橋とともに橋梁設計の分野では珍しい一般公募のデザインコンペで大谷瀧雄氏の案が選ばれ、これをもとに実施設計が・ |
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施設名 | 大阪倶楽部 地図 |
所在地 | 中央区今橋4丁目4番11号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:大阪財界人によって経済都市大阪の進取的社交場として創設された社団法人大阪倶楽部の旧館が、大正11年(1922年)に焼失したあと、安井武雄の設計により大正13年(1924年)に再建された。国の登録有形文化財に登録されている。 |
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施設名 | 船場ビルディング 地図 |
所在地 | 中央区淡路町2丁目5番8号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:三休橋筋の拡張を機に大正14年(1925年)竣工。 オフィスと住宅をあわせもつビルとして建設され、注目を集めた。また、船場という場所柄から、装飾性のみでなく、トラックや荷馬車などを引き込むのに便利な機能性を重んじた設計が大きな |
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施設名 | 道修町の界隈・古い家屋 地図 |
所在地 | 中央区道修町1丁目〜3丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:道修町は薬業関連会社が多く、江戸時代からこのあたり一帯は、町の人たちが子弟や丁稚のためにお金を出し合って塾や学校をつくり、商売と勉学を両立させていた。戦災を逃れたこの界隈には老舗の看板を掲げる建物が今も現役で残っている・ |
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施設名 | 日本基督教団浪花教会 地図 |
所在地 | 中央区高麗橋2丁目6番2号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:明治10年(1877年)、日本人によって設立された最初の自給教会「浪花公会」が前身。教会堂は昭和5年(1930年)に建設された。礼拝室にある外観からでもわかる大きなアーチ窓のステンドグラスが印象的である。 |
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施設名 | 伏見町付近の街並み(青山ビル・伏見ビル) 地図 |
所在地 | 中央区伏見町2丁目2番 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:伏見町には、青山ビルや伏見ビルといった戦前の建築物が当時と変わらない姿で今も存在している。青山ビルは大正10年(1921年)に洋館の邸宅として建てられ、ビル全体を覆う蔦が四季折々の姿を見せる。伏見ビルは大正12年(1923年)にホ・ |
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施設名 | 旧小西家住宅 地図 |
所在地 | 中央区道修町1丁目6番10号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:旧小西儀助商店(現コニシ株式会社)の旧店舗・住宅で、明治36年(1903年)に一部3階建で完成、堺筋の拡幅で西側が切り取られ、のち3階部分を撤去して現在の姿になった。船場に残る数少ない町屋の遺構のひとつとして、薬種問屋の形態を・ |
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施設名 | 生駒時計店(生駒ビルヂング) 地図 |
所在地 | 中央区平野町2丁目2番12号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:明治3年(1870年)に高麗橋5丁目で創業した生駒時計店が、御堂筋の拡幅と地下鉄工事を機に現在地に当ビルを新築。昭和5年(1930年)に竣工した。設計は宗兵藏。国の登録有形文化財に登録されている。 |
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施設名 | 高麗橋 地図 |
所在地 | 中央区東高麗橋・高麗橋1丁目間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:慶長9年(1604年)、立派な擬宝珠(ぎぼし)をもつ橋として架けられた高麗橋は、江戸時代に12あった公儀橋(幕府直轄管理の橋)のなかでも特に重要視され、西詰には幕府の高札(公報板)が立てられた。西日本各地への街道の起点とされ、 |
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施設名 | 愛珠幼稚園 地図 |
所在地 | 中央区今橋3丁目1番11号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:明治34年(1901年)竣工。園舎としてはめずらしい御殿風の建築様式。築後100年以上経ってもなお現役の木造園舎は日本最古である。遊戯室は吹き抜けになっている。天井は寺院などにみられる格天井。建設当時からのシャンデリアが今も飾ら |
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施設名 | 新井ビル 地図 |
所在地 | 中央区今橋2丁目1番1号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大正11年(1922年)、大日本報徳銀行大阪支店として建てられ、新井証券を経て新井ビルとなる。外観は完全な左右対称で、茶褐色のタイルの外壁が街に馴染んでいる。国の登録有形文化財に指定されている。 |
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施設名 | 大阪証券取引所ビル 地図 |
所在地 | 中央区北浜1丁目8番16号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:昭和10年(1935年)に完成した旧大阪証券ビル市場館は、ビルの老朽化に伴い、平成16年(2004年)、近代的なガラス張りの超高層ビルに建替えられた。エントランスのドーム部分は当時のままの姿で残されており、ドーム内部の広間と外観は・ |
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施設名 | 北浜レトロビルヂング 地図 |
所在地 | 中央区北浜1丁目1番26号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:明治45年(1912年)、株仲買商の商館として建設。戦後は建築資材の専門商社の本社社屋として利用されたが、平成9年(1997年)、大規模な保存改修工事を経て、建築当時の雰囲気そのままに再生された。2階北側の窓からは土佐堀川越しに中之 |
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施設名 | 適塾 地図 |
所在地 | 中央区北浜3丁目3番8号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:医師・蘭学者であった緒方洪庵が開いた蘭学塾。洪庵は、天保9年(1838年)、大坂の瓦町に適塾を開いたが、弘化2年(1845年)に過書町(現在の場所)に移転した。幸運にも戦災を免れ、江戸時代後期の町家の姿を現在に伝えている。1階は・ |
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施設名 | 難波橋 地図 |
所在地 | 北区西天満1丁目・中央区北浜1丁目、2丁目間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:土佐堀川・中之島公園・堂島川に架かる橋。大正4年(1915年)架橋。橋長約190mであり、橋の両サイドに「阿」と「吽」それぞれ2体のライオンの像が置かれている。現在の橋は、昭和50年(1975年)に改修されたものであるが装飾部分等は旧 |
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施設名 | 大阪市中央公会堂 地図 |
所在地 | 北区中之島1丁目1番27号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:北浜の株式仲買人・岩本栄之助が私財100万円(現代で約50億円)を大阪市に寄贈し、辰野金吾らの設計により、大正7年(1918年)に建設された(地上3階、地下1階)。ヘレン・ケラーやガガーリンなどの著名人の講演やコンサートなどに活用・ |
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施設名 | 大阪府立中之島図書館 地図 |
所在地 | 北区中之島1丁目2番10号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:明治37年(1904年)に住友吉左衛門友純の寄付により、大阪で初めての学術図書館として開館した。設計は野口孫市と日高胖で、施工は久保田小三郎。竣工当初は中央の十字型の建物だけで、大正11年(1922年)に両翼の部分が住友家の寄付を・ |
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施設名 | ルポンドシエルビル(大林組旧本店ビル) 地図 |
所在地 | 中央区北浜東6番9号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:大正15年(1926年)大林組の四代目本店ビルとして竣工。平成19年(2007年)に、耐震補強を含む全館の改修工事が行われ、南向いにある大阪大林ビルに入居していたフレンチレストラン、大林組歴史館などが当ビルに移転した。ビル中央のア・ |
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施設名 | 菅原町の土蔵 地図 |
所在地 | 北区菅原町6番1号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要: 完成年度は不明。大正時代に乾物問屋の蔵として建築されたと推測される。周辺には、その当時の土蔵の一部が倉庫や事務所として使われている。 |
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施設名 | 天神橋 地図 |
所在地 | 北区天神橋1丁目・中央区北浜東間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:最初の橋は、文禄3年(1594年)に架けられたと伝えられている。現在の橋は、昭和9年(1934年)に架橋されたものであり、橋長約210mの鋼アーチとなっている。 |
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施設名 | お初天神(露天神社) 地図 |
所在地 | 北区曽根崎2丁目5番4号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:露天神社は、創建以来1300年ともいわれ、菅原道真の詠んだ歌から露天神社とも称する。一般には、近松門左衛門の名作「曾根崎心中」の遊女お初にちなんでお初天神と呼ばれている。昭和20年(1945年)、戦災により焼失したため、昭和32年・ |
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施設名 | 大阪天満宮 地図 |
所在地 | 北区天神橋2丁目1番8号、5番6号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:天暦3年(949年)創建。学問の神様として知られる菅原道真を祭っており、「天満の天神さん」の愛称で親しまれている。現在の本殿は、天保14年(1843年)に再建されたものである。梅花殿・神楽所・参集所は、国の登録文化財に指定されてい |
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施設名 | 天神橋筋商店街(2丁目)の看板 地図 |
所在地 | 北区天神橋2丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:天神橋筋商店街(2丁目)の入口にある看板。天神祭で御神霊を出迎えるお迎え人形をモチーフにしている。交差点北側、南側の2箇所に設置されている。 |
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施設名 | 天満天神繁昌亭 地図 |
所在地 | 北区天神橋2丁目1番34号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:平成18年(2006年)オープン。天満に落語専門の定席を復活させるため、市民等より寄付を受け建設。天満宮の渡り船をイメージした外観となっており寄付者の名前を記した提灯が吊るされている。地上3階建てで、座席は1、2階の216席。 |
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施設名 | 大阪城天守閣 地図 |
所在地 | 中央区大阪城1丁目1番 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:大阪城は、天正11年(1583年)豊臣秀吉により築かれたが、大坂夏の陣で焼失、堀も石垣も全て徳川幕府の手で作り直された。天守閣は、その後落雷により焼失したままであったが、昭和6年(1931年)、市民の寄付により豊臣秀吉創建時の姿に |
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施設名 | 八軒家浜船着場跡の近くにある石畳の階段 地図 |
所在地 | 中央区石町1丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:この付近は、古くは渡辺の津と呼ばれる船着場で、熊野街道の起点でもあった。平安時代中期から鎌倉時代にかけては「蟻の熊野詣」といわれ、人々はここで上陸して熊野に向かったといわれる。さらに江戸時代には、八軒家浜と呼ばれ、三十・ |
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施設名 | 川崎橋 地図 |
所在地 | 北区天満1丁目・都島区網島町間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:昭和53年(1978年)架橋。橋長約129mの2径間連続斜張橋である。中之島公園と千里の万博記念公園を結ぶ大規模自転車道の一環として架設された。 |
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施設名 | クリスタルタワー 地図 |
所在地 | 中央区城見1丁目2番27号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年7月23日 概要:平成2年(1990年)、大阪ビジネスパークの西側、二つの川が合流する場所に完成した超高層ビル。「中之島からの遠望が新しい水都大阪の代表的な都市景観である」として第12回大阪まちなみ賞※を受賞している。 ※大阪まちなみ賞:景観上 |
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施設名 | 造幣局桜の通り抜け 地図 |
所在地 | 北区天満1丁目1番79号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:造幣局の創業は、明治4年(1871年)4月。明治16年(1883年)に桜のトンネルの「通り抜け」が開始され、造幣局構内大川沿いの全長560mの通路を1週間一般開放している。現在、120品種以上340本以上の桜を数え、大半は遅咲きの八重桜である |
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施設名 | 藤田邸跡(太閤園、藤田邸跡公園、藤田美術館) 地図 |
所在地 | 都島区網島町9番10号、10番、10番32号 |
詳細情報 | |
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施設名 | 桜宮橋 地図 |
所在地 | 北区天満1丁目・都島区網島町間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:昭和5年(1930年)に第一次都市計画事業によって大川(旧淀川)に架けられたアーチ橋で、最大支間は104mとアーチ橋としては戦前では日本最大であった。アーチの両端にロマネスク風の昇降口があり、橋の景観を高めている。意匠指導は武田 |
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施設名 | 泉布観 地図 |
所在地 | 北区天満橋1丁目1番1号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:明治4年(1871年)落成。造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建設。全国でも最も古い洋風建築の一つである。明治天皇自身が命名。大正6年(1917年)に大阪市に移管された。昭和31年(1956年)、洋風建築としては全国に先駆けて国の重要文 |
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施設名 | 八王子神社御旅所の楠 地図 |
所在地 | 東成区大今里1丁目17番10号 |
詳細情報 | 八王子神社御旅所の楠は、樹齢1300年を数えるとされ、明治18年(1886年)の洪水の際には、楠の上に、いかだを組んで難を逃れたという言い伝えがある。幹周11m、樹高25mで、大阪市の保存樹に指定されている。八王子神社御旅所は、この樹の見事さから楠神社とも呼ばれている。 |
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施設名 | 諏訪2丁目の大いちょう 地図 |
所在地 | 城東区諏訪2丁目11番8号 |
詳細情報 | 大阪市指定<昭和43年(1968年)10月1日>の保存樹で、高さ16.5m、幹まわり3.3mに達する。宅地内にあるが、樹高が高いことから遠くから眺められ、落葉の季節には、道一面に黄色いじゅうたんが敷きつめられたように美しくなる。幹まわりから見ても、かなりの樹齢であると推察 |
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施設名 | 中浜下水処理場の桜 地図 |
所在地 | 城東区中浜1丁目17番 |
詳細情報 | 中浜下水処理場は、大阪市で3番目の下水処理場として昭和35年に通水した。場内に整備された「中浜せせらぎの里」周辺には、約300本の桜並木が毎年春に見事な桜のトンネルを作り、多くの人々の目を楽しませている。 |
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施設名 | 阿遅速雄神社 地図 |
所在地 | 鶴見区放出東3丁目31番18号 |
詳細情報 | 天智7年(668年)、熱田神宮に祀られていた草薙の剣を盗んだ者が当地で大嵐に遭った際、放り出した剣をこの神社に一時おさめたのが創始といわれる。その後、剣は熱田神宮に奉還されたと伝えられる。 |
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施設名 | 中高野街道の剣街道 地図 |
所在地 | 鶴見区放出東1、2、3丁目付近 |
詳細情報 | 京都や大阪から和歌山の高野山へお参りする人たちが多く利用した中高野街道は、この辺りでは“剣街道”とも呼ばれていた。“剣街道”の名称は、江戸時代に八剣神社と呼ばれた阿遅速雄神社の参詣道であったことから名づけられたともいわれている。 |
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施設名 | 野崎街道の家並み 地図 |
所在地 | 城東区蒲生4丁目1〜3番 |
詳細情報 | 野崎街道は、通称「野崎の観音さん」で知られる曹洞宗福聚山慈眼寺(大東市野崎)へ参詣するルートである。野崎参りは 17世紀後半の延宝(1673〜1681)・元禄(1688〜1704年)に始まり、明治の末頃まで、大坂の町や近郷から行楽を兼ねてお参りをする人々で賑わった。今でも旧街道・ |
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施設名 | 皇大神宮 地図 |
所在地 | 城東区今福南2丁目12番31号 |
詳細情報 | 皇大神宮は、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を祭神とし、神宮様と称して広く崇敬され栄えてきた由緒ある神社である。現在の社殿は、享保2年(1742年)、天保13年(1842年)、明治13年(1880年)に改修され、昭和7年(1932年)に大阪城の設計を手がけた古川重春氏の設計 |
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施設名 | 比枝神社 地図 |
所在地 | 鶴見区今津中5丁目5番23号 |
詳細情報 | 本殿は、安永5年(1776年)に建立され、摂末社には天満宮、大正軍社、歯神之社の三社殿と稲荷神社がある。境内には延宝8年(1680年)に寄進されている320年前の石灯篭が並ぶほか、クスノキなど計13本の樹木は大阪市の保存樹林に指定されている。 |
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施設名 | 梅田スカイビルと新梅田シティ「花野」「中自然の森」 地図 |
所在地 | 北区大淀中1丁目1番88号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:平成5年(1993年)竣工。地上40階建ての2棟のビルを地上170mの上部でつないだ連結超高層で、屋上には視界360度の空中庭園展望台がある。両棟を行き来するため22階に連絡通路が設けられている。敷地面積の約60%が公開空地として「中自然 |
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施設名 | ちゃやまちプロムナード 地図 |
所在地 | 北区茶屋町16番、17番、19番 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:梅田駅の北東に位置する延長約200mの高木のケヤキ並木道である。この道は、地権者自らが将来の町の姿を共有し、細街路を両側4m以上壁面後退して生み出したものである。一部、夜間のライトアップが行われている。 |
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施設名 | 扇町公園 地図 |
所在地 | 北区扇町1丁目、2丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:大正12年(1923年)開園。面積約7.3haの都市公園で、公園内には扇町プールや大型遊戯施設がある。 |
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施設名 | 扇町キッズパーク(関西テレビ放送) 地図 |
所在地 | 北区扇町2丁目1番7号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:平成9年(1997年)竣工。市の土地信託事業により複合文化施設として建設された。現在は、関西テレビ放送の社屋となり、キッズプラザ大阪などが入居している。地上13階建てで、扇町公園に隣接し、ミラーガラス張りのデザインとなっている・ |
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施設名 | 道引地蔵尊 地図 |
所在地 | 北区豊崎1丁目2番7号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:明治24年(1891年)に建立。4畳半ほどのお堂に、お地蔵さんが佇んでおり、地域の人々の信仰を集めている。 |
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施設名 | 鵺塚 地図 |
所在地 | 都島区都島本通3丁目18番 |
詳細情報 | 平家物語によれば、平安末期、近衛天皇(このえてんのう)を夜ごと悩ませていた怪鳥を源頼政(みなもとのよりまさ)が射落としたところ、頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎の姿で鳴く声は鵺(とらつぐみ)に似ており、これを鵺(ぬえ)と言い、鵺を丸木舟にのせて淀川に流 |
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施設名 | 野江水神社 地図 |
所在地 | 城東区野江4丁目1番39号 |
詳細情報 | 水波女大神(みずはのめのおおかみ)を祭神とし、一般には水神社・水神さま・水神宮・野江神社などと呼ばれている。伝えられるところによれば、天文2年(1533年)三好政長が榎並城を築く際、たびたび水害を被ったので、水火除難の守護神として城内に小さい祠を造営し、祀っ・ |
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施設名 | 野江水流地蔵尊 地図 |
所在地 | 城東区野江4丁目1番39号 |
詳細情報 | 大阪北部一帯を襲った、未曾有の大洪水時(明治18年)に、当地に流れ着いたとの謂れがあり、城東区民にとって忘れてはならない出来事の証人として、守り伝えなければならないお地蔵さんとされている。地元町会に守られ、地蔵盆などの行事は欠かさず毎年行われている。 |
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施設名 | 飛翔橋 地図 |
所在地 | 都島区都島本通1丁目〜北区長柄東1丁目 |
詳細情報 | 都島区善源寺町から、大川を隔てて北区長柄東へ連絡する歩行者専用橋で、昭和59年(1983年)に完成し、主橋梁部の形は、建設当時、わが国にも外国にも例のない二重のアーチ橋(ニールセン・ローゼ桁)である。橋長103.55m、幅員4.00mで、鋼桁の色調は白色と肌色を基本とし |
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施設名 | 櫻宮御旅所 渡辺綱・駒つなぎの樟(くす) 地図 |
所在地 | 都島区善源寺町1丁目11番26号 |
詳細情報 | 明治42年(1909年)まで旧善源寺(ぜんげんじ)村の産土神社(うぶすなじんじゃ)が鎮座したところで、現在の櫻宮御旅所(さくらのみやおたびしょ)に、このクスノキの大樹がある。この木は平安時代の中ごろ、源頼光(みなもとのよりみつ)が社を創建する際に植えたもので、 |
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施設名 | 都島神社 地図 |
所在地 | 都島区都島本通1丁目5番5号 |
詳細情報 | 平安後期、後白河法皇が鎮護の神社として創建されたと伝えられる。社殿は太平洋戦争の空襲で焼失したが、昭和24年(1949年)に再建された。境内にある嘉元2年(1304年)銘の石造三重宝篋印塔は、市内最古の石造建造物で府の有形文化財に指定されている。 |
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施設名 | 水道記念館(旧柴島浄水場第1配水ポンプ場) 地図 |
所在地 | 東淀川区柴島1丁目3番1号 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:水道記念館の建物は、宗兵藏の設計で、大正3年(1914年)に竣工。市勢発展による人口急増に伴う給水量を確保するため、明治41年(1897年)から始まった第2回水道拡張事業において建てられた送水ポンプ場「旧第1配水ポンプ場」の建物を保 |
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施設名 | 毛馬桜之宮公園 地図 |
所在地 | 北区長柄東2丁目〜天神橋1丁目、都島区友渕町1丁目〜網島町 |
詳細情報 | 登録年月日:平成16年10月8日 概要:大川の毛馬閘門から下流の天満橋まで、川の両岸に連なる延長4.2km、面積約30haの都市公園。大川の流れに沿ったプロムナードには桜並木が続く。3月下旬から4月上旬には、ソメイヨシノなど約4700本の桜が満開となる。 |
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施設名 | 淀川神社 地図 |
所在地 | 都島区毛馬町1丁目2番11号 |
詳細情報 | 平安時代に淀川河口を護る武士達によって祀られたのを始まりとし、友渕村には氏神として「十五神社」が、毛馬村には氏神として「八幡神社」が祀られていたが、明治時代に他社に合祀された。昭和に入り、平和な街づくりと、明るい郷土の発展を願う熱心な人々の総意によって、 |
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施設名 | 淀川河川敷(都島区) 地図 |
所在地 | 都島区毛馬町3丁目地先 |
詳細情報 | 淀川河川敷には淀川河川公園が、昭和47年(1972年)から整備されており、当地区は昭和51年(1976年)に整備された。都島区に位置する公園部分は、スポーツのためのグラウンドのほか、芝生広場や野草広場が広がっており、家族そろって楽しめる空間となっている。緑地部分の面 |
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施設名 | 城北公園 地図 |
所在地 | 旭区生江3丁目 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:昭和9年(1934年)開園。旧淀川の河川敷を利用して造られた約9.5haの都市公園で、公園内には約1.3haの城北菖蒲園があり、毎年6月には約250品種、13,000株の花菖蒲が咲く。 |
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施設名 | 城北川新光製糖の艀 地図 |
所在地 | 城東区今福西6丁目8番 |
詳細情報 | 新光製糖は、精製糖、氷砂糖、液糖の製造販売等を業種とする会社である。昭和19年(1944年)に城東区鴫野町に設立、昭和27年(1952年)に今福工場を建設、昭和29年(1954年)に本社を今福に構えた。かつて“水の都”といわれた大阪に本社を置く新光製糖では、地の利を活かし |
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施設名 | 関目2丁目・4丁目の楠並木 地図 |
所在地 | 城東区関目2丁目8番、9番、関目4丁目2番、10番 |
詳細情報 | 関目2丁目、4丁目の道路にある楠並木。延長100m強の「クスノキ並木」で、高さ約10m、枝振りも立派で手入れもよく行き届いた「癒しの空間」となっている。真夏の昼下がりや軽やかなそよ風に触れる事の出来る、貴重な緑陰空間である。 |
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施設名 | 大阪信愛女学院 地図 |
所在地 | 城東区古市2丁目7番30号 |
詳細情報 | 学院の歴史は明治17年(1884年)に川口居留地に開校したことに始まる。現在地の城東区古市(当時は東成区千林町)に移転した時に建設されたのが本館で、今でも幼稚園から短大まで続く同学院の中で、中学校校舎の一部として使用されている。(開設:昭和7年(1932年))また、・ |
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施設名 | 横堤 花と緑のプロムナード 地図 |
所在地 | 鶴見区横堤4、5丁目 |
詳細情報 | 西三荘都市下水路の、横堤橋〜緑地橋間の約500mを覆蓋し、区民の憩いの場、遊歩道として整備している。「土を感じる道」「石を感じる道」「木を感じる道」「水を感じる道」のゾーンに分け、ベンチや特徴ある植栽を配置し、楽しく歩ける工夫が施されている。 |
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施設名 | 井路の名残り 地図 |
所在地 | 鶴見区安田3丁目、茨田大宮1丁目付近 |
詳細情報 | 鶴見区は低湿地帯であったため、人口の水路である井路が網の目のように通っており、戦後しばらくまで三枚板でできた船が人や物を載せて行き来していた。昭和40年代以降埋め立てられ、ほとんどが道路になってしまったが、一部に昔の風情を残している。 |
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施設名 | 鶴見はなぽ〜とブロッサム 地図 |
所在地 | 鶴見区茨田大宮2丁目7番70号 |
詳細情報 | 多くの人々が花と出会い、花に親しみ、より豊かな暮らしを育むためのアメニティスペースとして誕生。月下美人の花のイメージを表現した外観が特徴的。花の卸売市場として西日本の中核的役割を果たす「大阪鶴見花き地方卸売市場」と、ショッピングだけでなく、毎週末のイベン |
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施設名 | 千林の長屋 地図 |
所在地 | 旭区千林2丁目14番 |
詳細情報 | 登録年月日:平成22年3月5日 概要:昭和12年(1937年)建築の2階建長屋。9軒(4軒と5軒)が軒を連ね、通りに玄関と台所が面し、台所部分の屋根は入母屋式となっている。 |
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施設名 | 菅原城北大橋 地図 |
所在地 | 東淀川区豊里1丁目・旭区生江3丁目間 |
詳細情報 | 登録年月日:平成15年4月11日 概要:大阪市で最初に有料道路の事業を取り入れて平成元年に完成した斜張橋で、普通車の通行料が100円であることから、百円橋と呼ばれ親しまれている。2つのタワーが他本数のケーブルに力を分散して支えている姿が美しい。この橋が架かる淀川・ |
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施設名 | 桜通り 地図 |
所在地 | 港区磯路3丁目〜弁天3丁目 |
詳細情報 | 桜通りには、南北800mに渡ってソメイヨシノとサトザクラが植えられている。桜並木は、地域住民により植えられ、管理されているもので、港区の桜の名所となっている。桜の開花時期には地元愛護会によりぼんぼりが飾られる。 |
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施設名 | ほたるまち 地図 |
所在地 | 福島区福島1丁目1番 |
詳細情報 | ほたるのようなやさしい光で川を照らす町になってほしいとの思いから「「ほたるまち」と名づけられ、平成20年(2008年)5月2日に誕生。梅田・福島・中之島が接する大阪の中心地にありながら、川の自然を感じられるこのまちは「文化・情報」(朝日放送本社、堂島リバーフォーラ |
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施設名 | TKPゲートタワービル 地図 |
所在地 | 福島区福島5丁目4番21号 |
詳細情報 | TKPゲートタワービル(Gate Tower Building)は、地上16階建てのオフィスビルである。通称「ビーハイブ(Beehive)」で、Beehiveとは「蜂の巣」、「にぎやかな場所」という意味である。高速道路がこのビルを貫通しているのが特徴で、立体道路制度適用第1号のビルである。 |
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